つまり、統計の必要のない統計というものに対しては、極めて冷酷な世界であって、それが年表風に積もっていったときに、ふと経済の研究の中でどういう役に立つのかということが、私にとっても疑問たり得ない。何もそれは新聞記事で物を見るわけではなくて、たくさんの統計というのは主に官庁から出る中で、それは当然歴史的にいろんな検証がされていくし、従前の統計は世の中にないわけですから、そこは皆さん実態と統計との差というものをみていくと思うんですが、その時に新聞記事というものはまた役に立つ資料であると思います。
経済の報道を少しひねくれた、今までのような見方をしてみると、一番不思議な点というのはまずG7の編年体的な歴史という本が意外とないということです。国金局がつくっている資料はあって、そのときに声明が出ているわけです。で、G7というのは多分皆さま方の中で経済を研究している人にとっては、本当はとても非常に重要な会議なんですよね。まあ、重要でないのが年に何回か、それは回数を多くすることで重要な会議を押さえておこうといった、そういう通貨マフィアから発展した性格なものだと思うんで、ないときは雑談で終わっているのかもしれませんが、あるいはどこか端っこの国の問題を話したり、IMFの運営のことを話しているんでしょうが、しかし日本のような立場の国ではG7というのは極めて重要で、言ってみればすぐ不況になって、世の中は対策も打たなきゃならないということを考えながら、こっち側を見ていると。
で、あの会議一体何なんでしょうかという話になったときに、あれはアメリカという国と日本という国が、どっちが損するか得するかという、いわば超過利潤をどっちが得るかというその大本のところを、政治の理屈で、主に財政の理屈で切り替えちゃおうという大変な会議なんですよね。竹下さんはプラザ合意を日本でちゃんと実施したというんで、アメリカの信認が厚く、あれだけ長い間権力を維持されたといわれていますが、本当にそうなんですかね。そういうふうに日本とアメリカの利益配分の大本を決めているすごい会議なんだよという記事はないんですよね。
しばらくすると、「私は現場にいた」みたいな話がほとんど実録とかと探偵小説の論理で話が構成されていって、俺は知らなかったなと残念に思ったりするんですが、実はそんなものでもないんですよね。