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自分の国で自分も参加者だから、自分が小なりといえども、日本人として参加しているところでは、どうも道具なのか、実態なのか、あるいは影絵なのかということがわからない記事を書いてしまう。それがいい記事だとまた褒められてしまう。国民国家の中で書いた記事とはそうなんですかね。きっと満州の小麦がよくできているといって喜んだ記事かなんか書いていたんですよ、その影響と周りの人がどんな苦労をしているか知らないで。

だけど、基本的に新聞でよく扱われる統計の意味というのはそういうもので、日銀の調査の人なんていうのはもうマネーサプライという道具に縛られていて、私の立場はない。だから、どういう指標をつくろうかなってばかり考えているわけですね。統計なんだから統計なんだというものは実は1つもなくて、自分もこの制度の中で、自分たちが目指す、それは、権力や人事の話ではなくても、自分たちの目指す金融状況をつくりだすことを、国民と議会とを説得するには、どの指標がいいだろうということを常に考えている職人がいるわけで、実はそれが統計の本質なんだと思いますけど、そこのところはやっぱりなかなか言いにくいことですが、そうなんだと。

ただ、民間の研究者というのはとても不利なんだと思います。やっぱり統計は官庁側にあるし民間側はどうその裏を読んだり、バスケット方式にしてより実態に近い論理をつくっていくかということが仕事だと思うんですが、そこがまた1つの職業として成立するような、むしろ統計というのはそういうものなのかもしれません。

昭和50年代半ばぐらいまでは、外貨準備高の推移というのが―変動相場制に入ってからしばらく経ってなんですが―そこまでは戦後一貫して新聞記者は“抜き合い”をしていたんですね。それほど難しい特ダネ合戦というのはなかったらしいですが、どれだけ外準が明日貯まっているかという日銀が翌日発表するのを今日書く。当然固定相場制のときは外準の天井が常にあって、その下でにいろんな経済政策が行われますし、もっとはっきり言えばそれを理由に「お金がないんだから、ドルがないんだから、今度はこういうデフレ政策も仕方ないね」という説得材料に使っていたわけですけどね。

ところが、それから数年後、私の体験によると、そんなこと外準の記事のことは影も形もない。誰も相手にしていない。大蔵省の記者クラブに配置された毎日新聞の数人の記者かける全部の一般紙の記者というのは、外準、そうこうしたら特ダネは抜き合いませんが、台湾に比べていいとか悪いとかお話ふうにはね、台湾ってすごいんだなということになって、突然お話のレベルになってしまった。

 

 

 

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