日銀短観というのは景気指標として、よくできているとは思います。やっぱり精緻な資料だとは思うんですよ。でも、日銀短観を書いているその心は、それで景気を見ようというのはまあ4割。最近あの公定歩合とか、日銀の金利政策ってほとんどお蔵入りしていますから、この段階では景気指標として読んでいるかもしれませんが、基本的にはやっばり日銀はこの統計を使って、世間を説得して、いつ金利を上げようかなと考えているのだと思います。
そうすると、そんなに世の中には立派な統計というのはないわけですから、30年経ったとき統計資料として日銀短観を見る人もいるでしょう。そして多分その人は日銀に過去の短観をもらってそのあとちょっと新聞記事かなんかを見て、こんなことかなと思いながら、しかしやっぱり1つの大きな問題があると言って、何年間かにわたる研究生活に入られると思うんですが、しかしそこで出ている記事のスタンスというのは、実はいつ政策変更をするのか、国民を説得するのにふさわしい統計として打ち出してしまっているという事実の上にあるんですね。
日銀短観は、日銀にとって多分一番重要なものだと思いますが、その上げ下げや強いとか弱いとかということを、やっぱり調査統計局長が記者発表で話をしますよね。数字が1動いたり、3動いたりすることが、いつも同じ話をしているわけじゃなくて、ほとんどすべて、ご経験のある方はわかると思いますが、日銀は考えているんだと、まだそんなことしないよと言っておきながら、ひそやかにではなくおおっぴらに、特殊な言葉を使って言う。その特殊な言葉を翻訳するのが我々の仕事だとすれば、経済記事というのはどういう資料なんだと。
だから、歴史を研究する人には残念なような、残念でないようなことだと思うんですよね。それから多分こういうことは、昭和ぐらいの年代に入ってからは同じように官庁とマスコミでやりあっていたと思うんですが、そういうふうに解説された本あるいは研究というのはあまりない。
言ってみれば、今そういうことが一番激しく起こっているのが、ニューヨーク株ですよね。インフレなら株がいいという話ではなくて、インフレだって「グリーンスパンが考えたら、金融政策を動かすから株が下がる」というようにって、どんどん先に読んでいく。あれがマーケット化された社会では本当のところだろうと思います。で、そのことは人の国のことだとよくわかる。人の国のところで、英語で書いてあるときっとよくわかるんですね。