ただ、いつの時代でも本当は誰がどんなふうに儲けているのかに関心があるのに、規制の強い時代には規制破りという形で超過利潤を得ていることを表現してきたという現実があると思うんですね。それにもかかわらず皆さん儲けて立派な国をつくったわけですが、そのときに書く側のスタンスとして本当に規制の好きな人もいるんですね。そうじゃないんだ、これはフィクションなんだと、本当に人間が知りたいのは規制がいいとか悪いとか話をしているんじゃなくて、人が死ぬわけじゃないんで、これは。
ただ、ルールができた中で、ルールとの抵触度というところから表現しないと物が書けないんだよということを知らずに、規制の中の時代の記者人生を終わった人もいるんじゃないか。中内が悪いとかですね。本当は悪くも何ともないんで、そうやって儲けただけなんだから。昔儲かって、今儲かっていない。ただ、そういうふうに記事がつくられてたということを知ることは、経済記事はどういう資料かという意味では、重要だと思います。
(ぺージを)めくっていって、なんでこんなに官庁の尻馬に乗って、人がやること悪い悪いって書いているんだろうって思いながらも書いてたんですよ。
だけど、それは悪いと書いているんじゃないんですね、本当は。本当はこういう儲け方があるということがニュースなのに、仕方がないからそうやって書いていた。そういう記事が相当量あるという現実は、歴史的にこれから物を調べる人は、考えたほうがよろしいんじゃないかと思います。
昨今、日経平均と経企庁の統計数字の信頼性が揺らいでしまい、一方で景気のほうはさほどよくないという妙な確信があちこちにあって、ブレが生じていると思うんですが、その中で新聞に載っている統計というのは何なんだろうかという話を手短にしたいと思います。
例えば、私が一番統計の記事ばかり書いていた時期というのは、今日の新聞にも載っていましたが、日銀が公定歩合を下げなかったときにマネーサプライがどう動いたかという、毎日新聞で、どういうわけか今日1面の頭でやっていますが、なぜバブルが発生したのかというときに、「毎月のように」じゃなくて、「確実に毎月」、それは大きな記事だったんですね。マネーサプライというものは何なんだろうって。マネーサプライというのはこれとこれで、市中に残っているお金の残高だよという、社会部出身の局次長が経済部出身のデスクにマネーサプライってなんだって聞いたらよく説明できなかったということがあったらしいんですがね、僕は説明できない人もまた正しいなと思うんですよ。