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政治部というのは、非常に記者クラブ制度的なものをつくっていると言われますが、それはそうでしょう。官邸なら官邸でセキュリティの問題がありますから。ある政治状況の中で連合が強くなれば、平気で連合のところに誰かが擦り寄っていって話を聞いてくる。なぜかというと、その国の構造を決める権力構造というものは、頂点に誰が立って、その人がどういうバランスの上で議論をしているのかということにおいては、非常な自由度を確保してことに臨んでいると。せんじ詰めれば、政治記事というのは誰が本当の権力者なのかということが書いてある。

運動面というのは何を書いているのかというと、ジャイアンツが何位かということも書いているんですが、基本的に記事の選択基準は誰が人気者かということです。それはスポーツ新聞でも、一般紙の運動面でも、人気のない人やマイナーなスポーツは誰も相手にしない。

同じような意味で、経済記事の枠組って何なんだろうと考えてみると、要するに誰が儲けているのかということです。どこに超過利潤が発生していて、それを蓄積に回しているのかという、シュンペーターとマルクスが言った極めて原理論的なところに、我々は自分自身をもっていかなきゃ記事が成立しないところがあるんですね。そういうことを書くのがいいことなのか悪いことなのかということについては、当然ある状況の中で、つまり抽象論の中で記録することはいいことなんですが、それを書くことが投機をあおるとか、常にそういう問題が出てきて、幾分「ううん」って疑問に思わせることはあります。

しかし、光通信がやっぱりこういうからくりで儲けたんだという事実があるのに、このことが全然載ってない経済面がもしあるとしたら誰も読まないんですね。記事の手法について何か文句を言うつもりもないし、日刊紙、テレビ、いろんな形でやってそれは結構なんですが、どうもこの誰が儲けているんだということをはずして書いてしまうと、報道の価値が、特殊な人を除くとないんですね。

そういうことが納得できるにも幾分の時間はかかりましたが、人気という点であれば圧倒的ですよね。誰が儲けているか、これは当たり前です。しかし、それだけじゃないんですね。誰が一番の蓄積をしているのだろうかという当たり前のこと。しかし「そうじゃないぜ、何だか知らないけど店の前に人が並んでいるよ」ってなことは、例えばユニクロの前に人が並んでいるということは、どこかの会社が普通の操業をしているというのと全く違う価値がある。

 

 

 

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