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実は、地方自治体の対外事業に対する統計は、外国ではあまりありません。私は、アメリカとカナダで、昨年2ヵ月ほどいろいろな組織を回って探したのですが、全く出てきません。しかし、日本では自治省がアンケートをとっています。それによりますと、ピークが1995年で約1,200億円を国際交流に使っています。その後、当然、経済の不況に伴ってダウンしますが、現在でも約1,100億から1,050億ぐらいで推移しています。

ただ、これが全部国際協力に使われているわけではありません。内訳は、住民の国際理解のために41%、各分野での国際交流のために23%、地域の国際化への対応のために17%で、国際協力のために6%です。この6%は約80億円ぐらいです。これがピークの時期でした。ですから、今約100億は減っていますから、70億ぐらいは国際協力のために使っていると思われます。

では次に、日本の地方自治体の国際協力の変化について、簡単にお話ししたいと思います。1970年ごろから日本の地方自治体の国際協力に変化が出てきます。70年代、特に72年に、日本の地方自治体が主催する政策交流のための国際会議が開催されるようになります。例としては、1972年北海道で、寒冷地の都市間技術協力をテーマとした北方圏都市会議が行われます。初期の段階では会議を開いて交流可能性を追求する、そんな会議が70年代続いていきます。

80年代に入りますと、それをベースに局地交流圏構想が出てきます。局地交流圏構想というと難しい言葉になりますが、環日本海交流などがそうです。自分たちの発展に役に立つ交流圏を設定して、そこでの国際協力や交流を積極的に進めていく、これが局地交流圏構想で、80年代に出てきます。例えば、北海道と同じような緯度に存在する寒冷地の都市グループで、寒冷地における教育とか、住宅の設計とか、都市計画とかの技術交流を推進する北方圏都市交流、東北・北陸・中国地域の環日本海交流。これは本来経済交流を目的としていますが、特に北朝鮮やロシアの経済悪化があって、経済交流としてはうまくいきません。しかし文化交流や協力で多くの成功を収めています。そして北部九州、特に北九州市を中心とする環黄海圏交流、これは国際交流と協力のみか、経済政策でも大きな成果を上げ始めています。

さらに90年代に入ると、そういう交流圏の大きなグランドデザインが相互に承認され、具体的に国際協力事業を行い、国際的な事務局をつくる動きが出てきます。

 

 

 

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