目的がないというのは、僕らジャーナリストは何か文句を言うとき一番簡単です。このペーパーには理念がないとか、戦略がないとか、そんなことを言うのは何も言えない文句を言うときの常套句です。よく某新聞なんか書いています。ないか、あるかと言えば、僕は知りませんけれども、政府はそれなりにもっともらしいことを、総理の所信表明を見ると、今の総理は、富国有徳とか言ってます。船橋さんの話を聞いて、それはそれなりに、有力なジャーナリストが出した目標かもしれない。最近、あまりそういうことは言ってらっしゃらないようです。そういうものは、いろんな議論としてはあるのではないかと思います。何が言いたいかと言うと、あまり、そういうことを意識することはどういうものかなという違和感を持ちます。
もう一つは30年前にあった自立への欲求が、いつ、いかにして消滅してしまったのだろうかということです。僕もわかりませんけれども、僕のゲス(guess)は、30年前は冷戦の勝負が付いてなくて、多分、片方の側に立って戦っていたから、神谷先生の身近な方なんかがあまりアメリカ側にコミットするのもちょっとかっこ悪いなと、二股、保険を掛けていたみたいなものです。勝負が付いてしまうと、自立とか何とかいう必要がなくなったのではないかというのが僕のゲスです。
三つ目のコメントと言いますと、軍事中級大国という言葉です。これ、ちょっとわかりにくい言葉だと思います。誤解されやすい。軍事大国の、軍事がどこに掛かるか。中級に掛かるか、大国に掛かるかということです。日本の生き方は、軍事力の規模で別に定義する必要はないのではないか。もうちょっと、それこそグローバル・シビリアン・パワーみたいに格好よくなくてもいいけど、もうちょっと何か酒落た表現がなかろうかという気がします。以上、3点です、失礼しました。
神谷 最後の点から言いますと、私、グローバル・シビリアン・パワーはいささか理想的に過ぎる部分があるけれど、基本的には面白い話だと思っております。ただ、グローバル・ミリタリー・パワーとしてのアメリカ側が前提とされているのに、ほとんど書いてないじゃないか、少々ずるいというのがだいぶ前にあれを一読したときの印象です。逆に、そこをうまく解決できない限り、あれは日本の独り善がりと言われてもしょうがないんだろうというので、少しお名前を挙げて言ったわけです。