やっぱりそれでは困ると思います。日本はこれまでの国際常識でいうと、何か変なことをしているけれど、それはもっともな理由のあることなんだと世界に思ってもらわない限り、まあ、別に国際社会で尊敬なんかされなくていいという立場をとってしまえば別ですけれど、一応、尊敬される国際社会のメンバーになりたいというのであれば、その道はない、そういう可能性がないと思います。
D 若干、似たような質問だと思います。先生がおっしゃった状況に持っていく常道、そういうものはどういうことが想定されるかということです。Bさんのおっしゃったことと頭に浮かんだので、伺いたいと思ったらお答えになりましたのでよかったんですが。一つは先程も出ましたが、憲法に沿って今回の周辺事態法を見てみると、アプレオリに必要だという野党はほとんどなくなって、一応、必要だという議論はしたんですが、法律論議にとらわれて、アメリカから見るとせっかく間口を広げて協力してくれるのかなと思ったら国内に持ち帰ると、またどんどん小さくなっていくという印象を受けたというふうに聞かされるわけです。
憲法の議論は、一つの通過儀礼として、おっしゃったような方向へ進むために必要なのか。それとも別の認識が決まっていけば、憲法問題はそのイッシューとならずに落ち着くところに落ち着くとお考えなのかということです。ちょっと抽象的ですけれど、どういうふうにしていけばそういう状況に近付けるかと。
神谷 防衛庁関係者に憲法問題の議論はなかなか難しいのかもしれないのですが、昔ほどヤバくはないので、精一杯のことは申します。
まず個人的に言うと、私は、憲法9条は最初は押し付けられたものかもしれないけれど、どうも日本人の大半は基本的には悪くないところが多いと思っている。変なところもあるけれど、悪くないところが多いと思ってやっているのだし、国際的にもある種のいい評価も受けているので、何もそんな毛嫌いしてなくさなくてもよかろうというのが、個人的な立場です。
ただし、微修正さえも必要ないかというと、これはちょっと疑問なところがあります。修正するとすれば、何か付け足すという意見が一つあります。小沢一郎さんなんかそうです。北岡伸一先生なんかは、第二項削除というんです。そっちのほうが、もしかするとシンプルかもしれません。そういうことは考えられるのではないかと思います。ただし、今、条文は現状のままで解釈を変更するという道もなくはないとは思います。いずれにしても、一度そこをはっきりさせておくことが必要ではないかと思います。