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それはどういうものかと言うと、日本には譲れない一線があるけれど、よその国にも譲れない一線というものはそれぞれあることを基本的には承認する態度のことです。もちろん、譲れない一線があるわけですから、よその国の譲れない一線も自分の国の譲れない一線を越えたらもう承認できないんですけれども、そうでない限りよその国の譲れない一線、つまりナショナリズムを可能な限り許容していく。そういう自己抑制的なナショナリズムを、私は中庸を得た健全なナショナリズムと呼びたい。

そうなるためには、まず日本人が、日本を日本たらしめている文化、価値、常識、慣習、制度といった、そういう体系に大切さを感じている、誇りを感じている、かけがえのなさを感じていることが必要で、そういうものを維持発展させたい、守りたい、そういう中で生きていきたいと思っている。そして、それが危なくなったときにはそれを守るために行動するという意思を持っているということ、これが重要なことは間違いありません。

それと同時によその国民も同じようにかけがえがないと思っている価値とか文化を持っていて、それを守りたいと思っているのだし、守るために行動をする用意もあるんだということを知っていて、なるべくそれを尊重して、うまいことネゴシエーションというか、妥協等によって、折り合いをつけていきたい。こういう態度をどうやって取り戻していくかというのが、日本人にとってこれから課題になっていくのではないかと思います。

こういう意味でのナショナリズムが取り戻せたとしますと、日本人にとって、日本をある意味で日本たらしめているものたち、価値とか文化、そういうものを守るということが非常に重要な目標になるのは当然のことであって、それが安全保障の大基本だという言い方は、過去にいろんな方が言っていらっしゃったように思います。ですからナショナリズムが健全な形で取り戻されると、そこに自動的に安全保障が国家の最も基本的な責務だという感覚、認識も自動的に戻ってくる。そして、こういう感覚を持っている国民には、世界にはいろいろな国がある。それらの国々の上に立つ世界政府はない。そういう状況において、自分の国の安全や繁栄をどうやって確保するかというと、最終的には自分の国の譲れない一線ということを大事にして自分の国が行動するしかないんだ。そういう意識も芽生えてくるのではないか。ここに、国家は国益のために行動すべきだ、国益を実現するために行動すべきだという認識も出てくるのではないかという気がいたします。

 

 

 

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