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こうして初めて、日本人が望んでいる、軍事的には中級国家に留まって、なおかつ大国としての尊敬される地位をかち得るということが可能になっていくのではなかろうかと思います。そしてまた、さっきも言いましたように、独り善がりではなく、日本の国際貢献は大国であっても非軍事面を中心としていくべきだという主張ができるようになるのではないかと思っております。

ここで突然、他人の名前を出して批判するのはいささか気がひけますが、例えば、船橋洋一さんのグローバル・シビリアン・パワー論(global civilian power)。私は、あの考えは面白いと思うけれど、大きい弱点があると思っています。それは何かと言いますと、アメリカがグローバル・ミリタリー・パワー(global military power)の役割を果たしている。そして、イギリスとかフランスといったアメリカに次ぐ大国も必要とあらばそれに協力するというのが、あの議論の暗黙の前提とされています。ある種、当然のこととされている。

それから、日本がグローバル・シビリアン・パワーになる、そういう役割を担うということは当然世界に歓迎されるということになっている。でも、そうではないはずです。一般には、大国であるなら大国としての普通の責任を果たせというのが普通であります。そうでなくてもいいんだというためには、日本なりの理屈が必要なはずであります。その理屈としては、日本が「普通の大国」になることは、自らのみならずよその国にとってもためにならない。だから我慢をする。我慢をするけれど、日本はやっぱり大国として、ちゃんとやっていきたい。それが認められないなら、普通になる可能性だってないわけではない。でも、なりたくはないんだ。どう思いますかと、むしろ世界に問い掛けることではなかろうかと思います。

アメリカや中国はストレートには言わないでしょうけれども、やはり日本には普通でない大国としてやっていってもらったほうがいいということを他国が承認した時点で、グローバル・シビリアン・パワーとグローバル・ミリタリー・パワーの分業ということが初めて前提にできるのであって、これを暗黙の前提にしてはいけないと思います。これを暗黙の前提にしてしまっているので、船橋さんの非常に優れた理論が、その他の人々がいろいろと唱えている、日本は何だか特別な国だという議論と似通ってしまっているのではないかと思います。

ちょっと話が抽象的でありますが、日本にも自立の欲求はあって、90年代に入ってから出てきている、日本は「独自の」理念を掲げるべきだという類の、日本特別論とでも言うべきもの、それから石原慎太郎先生に代表されるように、いわゆる嫌米とか侮米とかいう類の議論、それからはるか大昔の非武装中立論、ああいうのは全て、主張している本人もはっきりわかっていないのかもしれませんけれども、私の言葉で言えば自立への欲求であって、さらに言うなら、ナショナリズムが何だか歪んだ影で噴き出しているということではないかと思います。

 

 

 

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