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それではどうすれば自立できるのかという話になります。これは、端的に言うと、理論的には一番簡単なのは、軍事的に自立して「普通の大国」になる、という話であります。普通の国ではなくて、「普通の大国」という言葉を使っているところが若干、微妙な違いがあるつもりです。軍事的に日本が自立をして「普通の大国」になれば、いやでもよその国も日本を一人前に認めて扱わざるを得なくなります。ただし、これには非常に大きな経済的のみならず政治的なコストがかかりますので、得策ではないと思います。得策ではないと思いますが、先程、冷戦期には、ソ連の脅威の前では日本だけで防衛するのは無茶な話だったと言いました。しかし冷戦後には、恐らく理論的には、軍事的自立によって日本が「普通の大国」になる可能性が初めて出てきていたのではないかと思います。このことを日本人が認識することは、私は大事であるように思います。

私が言いたいのは、日本が自立への道として取るべきなのは、軍事的自立によって「普通の大国」となる道もないわけではないということをちゃんと意識した上で、あえて日米同盟基軸の−いささか変な言葉ですが−「軍事中級大国」路線を貫く、そういうことなんじゃないかと思います。

ここで言いたいことは何かと申しますと、軍事的に自立をしないでアメリカに依存する。そしてその結果、ある意味では中国に対しても対等の立場に立たないということは、日本としては必ずしも喜ばしい選択ではない。もっとはっきり言えば、日本は我慢しているわけです。日本がこの点であえて我慢しているということを日本人自身自覚するとともに、よその国にちゃんとアプリシエート(appreciate)させるということが、これから必要になるんじゃないかと思います。もちろんそこには外交技術とかいろいろ難しい問題がありますが、それは外務省のプロに任せるということであります。

こういうふうに、日本にはほかの道もあるのだけれど、自らの意思で日米同盟基軸、いわばこれまでの路線の維持をしているんだ、しかしそれがアプリシエートされないなら、必ずしもこれでなくてもいいんだという意識を持つことによって初めて、どうも私は、米中ロ(といった大国)に日本を対等な存在として認めさせるきっかけが生まれるのではないかという気がしてます。

米中ロに日本を対等な存在として認めさせて、伝統的な意味での大国とは違う、ですから「普通の大国」ではないのだけれども、確かに大国だということを認めさせて初めて、日本の国際社会における貢献あるいは役割が、アメリカをはじめとする伝統的大国のそれとは質的に異なったもの、つまり非軍事的側面を中心としたもの、そういうものであることを初めて日本として正当化できるようになるのではないかと思います。

 

 

 

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