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冷戦が続いている限り、アメリカ側陣営の一員として安全保障をやるという目標だけは残っていたんですけれども、それも冷戦の終結でなくなって、その(戦後の日本に与えられた)国家戦略は、今や全く通用しないものになっています。

私がここで言いたいことは、戦後の日本は、自分で選んだのではなくて、与えられた目標、これをともかく追求していったら予想もしなかったほどうまくいった。それで25年とか30年やった。その間にうまくいかないことがもっとあれば自らの進路について、自ら考え直すということがもっとあって、そういう方面(自らの進路について構想すること)の能力、技術も向上したのかもしれませんけれども、そのきっかけが全くないままにそういう能力が退化したのではないか。

例えばオイルショックのときに少し、自らの運命について、自ら考えようという機運が盛り上がったように見えます。その一つの産物が、例えば総合安全保障の考え方であるような気がしますが、どうもオイルショックは比較的短期のうちに日本はうまく乗り越えてしまいましたので、従来からの路線を根本的に自らの手で見直すというきっかけとしては不十分な危機であったのではないか。そういう気がいたします。

日本としては、ずうっと従来の延長線上でやって、それでうまくいっている限りは、自らの進路を考え直すということを意識しないで済んだ。ところが冷戦が済んだことによって、根本的に話が変わってしまって、初めてどうするのかと言われ、どうしたらいいんだかわからなくなっている。で、10年経ってしまったということではないかと思います。

そのように、日本の与えられた目標を追求する路線が大成功した陰には、もちろん日米安保体制がものすごくうまくいったということもあるんだろうと思います。この日米安保体制がともかくうまくいったものですから、そして、冷戦期には実は日本が自立すると言ったってソ連の脅威に対抗するのに、日本独自でというのは甚だ無茶な話ですからアメリカと一緒にやっていくしかなかったということもあります。安全保障はアメリカに頼るのは、ある種当然だということになる。そういうことがあると思います。

それとともに戦後日本では、軍事について考えることがある種タブー視される傾向があったり、ナショナリズムを言うことが悪いことであるかのように言われた。かといって、日本がナショナリスティックでなかったかというと、そうではないんですが。

 

 

 

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