これは今後の日本がどの路線を選ぶかということと直結します。もし日本が今後も軍事的な大国路線を採らないとすれば、やはりこういう力を高めていかないといけないだろう。というのは、アメリカなどと比べたときにこの方面での遅れが非常に深刻だからであります。そのためにも私の考えでは、自立性の回復がキーワードになるような気がします。というわけで、ここから先は、日本が嫌米とか反米とか変なことを言わずに、しかしなおかつ自立ということを考えていくにはどうしたらいいかという話をしたいと思います。
私は、日本の外交・安全保障政策で何が一番問題か、欠点かと言うと、それは例えばテポドンが打ち上げられたときに、どういう対応があったとかなかったとか、多分そんな話ではなくて、もうちょっと原理的と言いますか、根本的な話だろうと。それは、非常に、漠然と、抽象的に言いますと、自立した日本が自分の進路を自分で決めるという気持ちがどうも国民の間にない。あるいは指導者にもない。エリートにもないということではないかと思います。
私のイメージでは、外交とか安全保障は一番基本的に考えると日本という国に何かしら目指すものがある。目標を定めてその実現を目指していく。その目指していくときに、いろんな障害があればそれをできる限り排除する。そのためにさまざまな政策を採っていく。そういうのが外交・安全保障の根本だろうと思います。そしてその根底には、日本が目標を定めるに当たって自分の国をどういう国にしたいか、そして、自分の国にとってふさわしい好ましい世界はどういう世界か、そういう明確なイメージがあってしかるべきだろうと思います。けれども、こういうイメージもないわけであります。
今、言った二つのことと深く関係があるんだと思いますけれども、日本では戦後、健全なナショナリズムと呼べるようなものもどうもありませんし、いい意味での国益意識もないようであります。こういうさまざまなことの結果、恐らく外交や安全保障を考えるということが言われるときにも、目的意識が非常に稀薄な議論に終始しているのではないかと思います。手段論ばかりで目標論がない。例えば、昨今のガイドライン関連法の審議を見ていましても、ガイドラインはもちろん手段です。ところがそれをどういう目的のためにやるのかという議論よりは、手段が妥当かどうかという目的をあまり論じないで言っているようなところがある。あるいは、法律解釈というやっぱり手段論ばかり、そういうところが見られます。