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事実だと思うんですが、また10年ぐらいすると変わる。これでは外国から来にくいし、安心もできない。ここへ行けば、こういう人たちと会える、こういう組織が迎えてくれる、こういう技術を学べる、仕事ができるとか、ある程度世界的にも安心を与える経済基盤とか、都市の営みのコアがほしい。そういうものをしっかり外へ向けて発信しないと、怖くて来られない。

バブルの時代は、いろいろなプロジェクトがあった。コンペもあったし、外国人はいっぱい来たが、状況が変わると、そういう基盤が、すぐなくなる。今、日本で活躍している外国人建築家は、少ない。ミラノの設計事務所に行くと、日本人は必ず1人はいる。レストランには日本人のコックさんが行っている。建築家とコックさんは修行の仕方が似ている。法的に認められていない潜りもいるが、そういう人も実態としては随分いる。世界中から人を集めている。東京はそういう構造にまだなってない。

 

森 私は自分の町は好きですが、日本全体には閉鎖性、画一性、相互扶助のなさ、若者の意気消沈とあまり期待ができなくて、私自身も外国で暮らしたいと思うぐらいです。子供も外国に行った方がいいのではないかと思うほどです。モンゴル、インドネシア、タイとかへ行くと国づくりをしている勢いやエネルギーがある。日本は、若い人が何か生き生きしていない。若い人が、もっと楽しそうに生き生きしていない町は、世界都市にはなれないと思います。

1920年代は、世界的にカフェ文化がすごくはやった。ウィーン、プラハ、パリ、ベルリン、東京でも。ですが、今は学校か、家庭か、会社以外のサロンはなくて、留学で来ても、たまり場になる場所がない。集まってるだけで面白いだれかと出会える場所が決定的に少ないと思う。

ものを学ぶことは、人と実際にインターフェースで会って、徒弟制度でも、親方でもいいからじかに教えてもらうことが大事なんです。日本の大学は、ほとんどマスプロでしょう。マイクで授業を聞くなら、その人の本を読めばいいんで、東京にわざわざ行く必要がない。すごい個人のところにいって、この人から何かを学ぶというのでないと、来る必要がない。大阪に緒方洪庵をたずねたり、福沢諭吉に弟子入りしたりというような関係と場所、頭山満は思想的にもアジア侵略に果たした役割など問題がありますが、国士とか親分の存在は面白い。義によって肩入れする肝入りの人も、文化を支える旦那衆というのも民間にはほとんどいなくなった気がしています。それが都市の活気をそいでいるような気がします。

 

岡本 経済基盤を超えた魅力の話は、個別にとってみれば、いろいろポテンシャルはあると思う。要は継続性がなかったことが、大きいと思います。一時的に非常にいいものができても、続かない。どうして続かないか。それは経済的な支えがないことが大きな原因です。国の政策ははっきりしませんし、企業がメセナでがんばっても、本業がこければ続かない。そこの根本的な連携を、どう取っていけるのか。どこかが弱くなっても、どこかが補填できるような形で、いい組織を継続的に支えていけるような経済的な支えがないと、だめなのではないかと思います。東京は確かにビジネスも、民間も元気ですし、東京都なら東京都が、ある程度イニシアティブを取れば、その連携は、何とか探れるのではないかなと思います。

支える組織として、どういうものをつくっていけばいいか。今まで実験的に行われてきて、いいものはたくさんあったはずです。いわゆるファンドエーディングも含めて、どうやっていくか。民間企業、財団などがそういう連携をどうするかを考えることが非常に重要なことと思います。

 

文化尊重意識の薄い日本

 

山室 戦後と戦前の違いは何だろうといつも思うのです。今の時代になくなったものがゆとりだとすれば、ゆとりの根本に何かあるのだと思います。

戦後の持家政策は、失敗だったのではないか。確かに経済成長を促したが、結局、そのローンに追われなければいけない。心のゆとりもなくなる。戦前の人は借家に住んでいた人が多かったが、それだからこそ、逆に使えるものがあって、外国人が来てもつき合うゆとりが生まれた。

ホスピタリティーの問題サロンの問題とかを含めた問題を一回全部、がらがらぽんしないことには、何もできないのではないかという気がする。

 

 

 

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