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例えば、学問の分野で建築は顕著なんですが、戦前は伊藤忠太という東大の建築の教授で、保存とか、歴史学をやって、アジア全部隈なく歩いて調査し、スケッチして克明にドキュメンテーションした。ヨーロッパまで行って、地中海やギリシャもよく調べて、自分なりの世界文明を解釈した大きな論を打ち立てている。それが今、再評価されている。

藤島亥治郎先生もそうです。伊藤先生は、イスラムのことも書いている。建築史の深い理論とか、技術的体系をつくるよりも、大きな視野で、日本の建築の位置づけをしようとした。そこに魅力があるのです。

戦後、太田博太郎先生が、日本だけに限って、日本建築史の精緻な発展を解釈した。学問の発展にとっては大変な貢献をしたのですが、逆に、今の日本建築史を習った人たちは、視野が狭い。アジアのことは知らない。留学もなかなかできなかった。1970年代半ばぐらいまで、留学は非常に難しかった。留学しても、文献に頼るしかない。リアルな、彼らの社会の中に入れなかった。

ようやく80年代以降、少しずつ、戦前の日本人の足跡―それは押しつけたり、抑圧した中で生まれた文化かもしれないのですが―の見直しが行われて、ようやくクロスオーバーになってきている。逆に、来る人たちに対する知的な交流の場や活躍の場を提供する世界都市という状況が、まだまだない。大学の中にも、社会の中にもない気がする。

 

青木 経済的な規模が非常に大きい国の首都としては、東京は世界都市としての条件が薄い感じがします。日本は、近代においてアジアで植民地を持ったり、占領した唯一の国です。そういう国の中心的な都市としては貧弱という感じがする。

それから江戸とのつながりは、どうなのか。江戸としての東京と、東京としての江戸というか、そういう面は、明治政府が江戸的なものを抹消しようとするような動きの中で、消えていったのか。都市としては、結局どうみたらよいのか。幕末当時の上海と比べてみると、上海では、トイレの処理や下水道については大変不備だったのではないでしょうか。ローマは水洗にしたと言われますが、ヨーロッパもそれに習ったんでしょうか。

 

岡本 泉州は水洗ですが、同じ中国で何であんなに違うんですか。

 

陣内 イスラム文化が原因です。

 

青木 イスラムは水です。国際都市の人材登用という問題、国や民族の出身を問わず人材を取り立てるという話はおもしろい。

 

山室 今の日本では、地方公務員になるのがせいぜいです。スポークスマンに使えるぐらいの優秀な人を採用してもいいと思う。

 

森 江戸時代は、唐通事も含めて、かなり使っていました。ああいう伝統は、どこでだめになったのか。明治維新で、お雇い外国人は欧米系だけに限るとかなってしまったのですか。

 

山室 最初は技術者でしたが、中国人も使った。

 

青木 その昔は、工芸人など帰化人の伝統はあります。帰化人は、日本名に全部変えて、奈良や京都でいろいろなことをやっている。

 

山室 近代で一番有名なのは、東郷茂徳さんです。戦後のあの紛争を処理できたのは、ある種の国際性だと思う。彼は苗代川出身の韓国人の末裔ともいわれています。

 

川本 映画のジャンルに限ってみると、アジアと日本の交流は盛んになってきています。アジア映画が東京の映画館でたくさん上映されるというレベルから始まって、アジアの映画をつくるスタッフに、日本人が協力するようになってきている。ホウ・シャオシエンの『非情城市』という台湾映画では、音楽は立川直樹という日本の音楽プロデューサーがやりましたし、フィルムの現像はイマジカでやる例が多くなっている。

今度、日本人の女性プロデューサーが、香港のウォン・カーウァイに監督させて、木村拓哉主演の映画をつくります。

 

青木 『2045年のソウル』か。木村拓哉が結婚するので、香港やソウルで大騒ぎで、日本以上のフィーバーらしい。

 

川本 それと、金城武が、おもしろい存在なんです。日本人で台湾で育った。日本語と台湾語を話せます。

 

 

 

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