「学都仙台と京都の過去」ですが、私は、仙台と京都にそれぞれ住んだ経験があります。昔、学都であったところが、現在、凋落していることは事実です。なぜ凋落したか。昔、仙台の東北大学も理科系と文系全部一緒にあったため、違う学問を越えたつき合いがあった。京都も、そうだった。しかし、現在では、仙台でも大学が分散して通学に30分とか1時間かかるところに住む。京都も、同じように1時間以上かかるようになってくると、ほとんどそういうつき合いができなくなってくる。結局、今まであったような学徒都市という意味合いが、どんどんなくなってきている。そういう点でいえば、インターフェースの持っている意味は大きいと思います。
グローバルとローカル
世界都市を、グローバルシティーと言うのか、ワールドシティーと言うのか、どっちにしても、グローバルであるとともにローカルであるという両面性を持たない限りは、魅力はない。その重層性をどの程度つくっていくのか、つくり得るのかどうかという問題があると思います。
世界都市とは、要するに一定期間だけの観光とか、ビジターのための世界都市を問題にしているのか、それとも、世界からやって来て、東京に住むという定住者のための世界都市を問題にしているのかが気にかかっています。もし定住者のための世界都市を問題にするのであれば、参政権や保険の問題等を含めて、いろいろケアをしなければならない条件がある。そう簡単に世界都市になれるのだろうかという懸念を抱いています。
関西では、阪神淡路大震災の後、多国語放送のFM―CO・CO・LOがつくられています。これは毎日24時間放送で、アジアのすべての地域、そして南米などの言語の放送をやっています。緊急情報を流すためのシステムを日ごろから作っている。中国語、韓国語、英語はもちろんですが、タガログ語、ベトナム語、ビルマ語等々もほとんど毎日流しています。逆に言うと、放送することを通じて、人と人とのつながりをつくっていくことがあるのでしょう。ローカル・ガバメント・インフォメーションという時間が必ずあり、奈良県なら奈良県の地域の行政についてのいろいろな問題など各地の情報を流す。NGOの情報も流しています。
NHKは、現在、英語、ポルトガル語、韓国語(ハングル)と中国語のニュースだけやっているようですが、首都圏の場合、関東大震災のようなものが起こったとき、一体どういう情報を流すのか、非常に重要な問題だと危惧しています。
私が大学を卒業して、内閣法制局に入ってつくった法律が、大規模地震対策基本法です。これは現在の地震予知連絡会から始まったシステムをつくった法律だった。そのとき一番問題になったのは、災害が起こった場合に、その程度に応じて、私的所有権をどの程度侵害というか、ある意味で無視して対策をたてられるかだった。70年代、80年代は、まだ有事立法という考え方が強かったので、ほとんどできませんでした。現在は、そういうことができていないと、緊急車両自体も何も動かない問題があります。
グランドデザインという点でいえば、もし災害が起こった場合、その後の再生プランをどうするのかです。神戸の、あの程度の地域であっても難しかった。ましてや東京は、なお難しい。シンクタンクなどで、被害状況に応じたグランドデザインを描いておかないと、まずいのではないかという気がします。人様の土地について、あまり文句を言うことでもありませんので、あくまで蛇足にすぎません。
●ディスカッション
青木 最終回にふさわしい、総括的なご提言も含めたご報告をいただきました。近代の東京の世界都市のあり方と、東京を考える場合の、アジアとの交流面で世界都市という側面と、その失墜というようなことを、学都、また亡命者の問題も含めて、お話をいただきまして、大変啓発されたところがあったと思います。
ところで最後の関西での多国語放送は、どこがやっているのですか。