ここで上映されている映画は、大半がアジア映画と言ってもいい。アジア映画を入れている会社は特色があります。例えば、「シュリ」を輸入配給した映画会社「シネカノン」は在日韓国人がつくった会社です。渋谷に映画館も持っています。ここは、在日韓国人スタッフが多い会社で、韓国映画ブームの発信地になっています。「K2エンタテインメント」という小規模の映画会社があります。ここもアジアの映画を熱心に入れています。ここの日本人女性スタッフは、ソウルに3年間留学し、ハングル語がぺらぺらで、韓国人ジャーナリストと結婚している。このように、映画産業には地殻変動が起きています。
最近、感動したアジア映画は、ブータンの映画です。オーストリアの協力を得てつくった「ザ・カップ」という映画です。「ザ・カップ」はサッカーのワールドカップのことです。チベットの山の中にある、チベット仏教(ラマ教)の僧院が舞台です。そこで少年が修行をしています。僧院というと、ストイックな世界をイメージしますが、この男の子はガキ大将で、夜な夜な村におりてテレビでサッカーの中継を見るのが大好きという少年です。少年はサッカーにどんどん引かれていき、1998年のワールドカップを毎試合テレビで見る。決勝がフランスとイタリアで行われているとき、自分ひとりで見るのはもったいないと、レンタルテレビを村から借りてきて僧院に持ち込み、僧院長をはじめ全員で見る楽しい物語です。ちなみに、彼らが応援したのはフランスです。フランスは先進国の中でチベット問題に関して中国に批判的で、チベットを応援しているのが1つの理由で、もう一つは、フランスのスタープレーヤーのジタンが坊主頭で、お坊さんたちが親近感を持ったためです。
このブータンの映画は東京でも公開されます。公開場所は、東急文化村の中にあるル・シネマという映画館です。これまではヨーロッパの、主としてフランスのおしゃれな恋愛映画を上映してきた映画館です。そういうところでブータンの映画を上映する。これも大きな変化です。渋谷を歩いているガングロの女性たち、ギャルたちが見てくれるかどうか興味津々です。以前は、ニューヨークへ行けば世界の映画が見られるという環境でしたが、今は圧倒的に、こと映画に関しては東京のほうがすばらしい環境になっています。
青木 映画祭の性質や意味、また映画に撮られた世界都市などの統計をとると、どれだけの映画にどれだけの都市が登場するか。世界都市は、映画に撮られることも大きな条件ではないかと思う。石原都知事が、映画撮影に対する規制を緩和すると言っていますが、すばらしく画期的な政策ではないか。
川本 80年代にニューヨークが「アイラブ・ニューヨーク」キャンペーンをやって、治安の悪いニューヨークのイメージがよくなった時期があります。「マンハッタン」や「アニー・ホール」など、ニューヨークを舞台にしたおしゃれなウディ・アレンの映画が公開されたことで、ニューヨークのイメージが一気によくなった。1つの理由は、当時の市長だったメーヤー・コッチが市庁舎の中に映画のオフィスをつくった。マンハッタンの真ん中でカーチェースをやろうが、銃撃戦をやろうが、何でも許可した。映画に対してオープンな市政を持ったために、ニューヨークを舞台にした映画が続々つくられた。ところが、東京は全く逆で、撮影はまかりならぬという。だから、東京でつくられる映画は、撮影が許可された殺風景な晴海ばかりで、日本映画がつまらなくなった。
青木 ニューヨークは確かにリッチになり、豊かできれいで安全になりましたが、文化的には、ほとんど見るものがない。映画館も名座画はほとんどつぶれ、ニューヨーク・フィルハーモニックもメトロポリタンも振るわない。モマなどがありますが、もうギャップとスターバックスのニューヨークです。「ブエナビスタ・ソシャルクラブ」という映画が見たかったもので、渋谷に最終回の上映に行きました。渋谷はニューヨークよりもはるかにいい。アジア映画やフランス映画は上映しているし、ニューヨークでやっていない映画を上映している。映画館を出たら、若者がみんな黙礼をしていく。若者が老人を歓迎してくれる町という面もあることが初めてわかりました。
川本 国際交流基金は、福岡アジアフォーカスフィルムや福岡で上映した作品を東京に持ってきて見せるアジア映画祭を毎年やっています。