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先日、イスタンブール近くで大きな地震があり、日本でもトルコのことが非常に大きく報道された。ショッキングだったのは、偉大なあのイスタンブールの、文明的な建築物が頭にあったにもかかわらず、テレビ画面に映ったのは、中途半端な建築様式で、トルコの伝統的な建築様式ではなかった。トルコ的なものと、近代的なものの、その途中でどこかあいまいに止まってしまったようなもろさを画面から感じました。融合というよりは、途中で止まってしまう難しさ、ものの融合の前に、ナショナリズムとか、共存には相反するものも、文化を開くことで外から入ってきてしまう。この文化を開くことの難しさについてどのようにお考えになっているか。

 

青木 トルコと日本は、いろんな面で比較すると大変おもしろい国であり、文化だと思う。近代で2つの国が示した、世界に対する態度は非常に対照的です。トルコは、オスマン帝国の領土を、ウィーンの近くハンガリーまで拡大した大帝国を築いていた。アタチュルク革命以降、現在のトルコ領土に全部収縮して、1つの国民国家をつくろうとした。しかも戦争はせず外国の支配も受けずに独立国家を保った。日本は、徳川時代の鎖国から、近代になって国を開き、急激に帝国を築いて、アジアの各地へ植民地をつくったり、占領をしたりして出ていった。それが第2次世界大戦の敗戦で収束した。また、ハンチントンの文明の衝突の中で、トルコは東と西に引き裂かれた分裂国家で、日本も東と西に引き裂かれた分裂国家として示されています。分裂という状態は近代国家そのもので、ハンチントンの見方は全く当たっていないと思う。イスタンブールは、1つの世界都市で、帝国の中心であった。国民国家であるトルコの、依然国際的な都市です。東京にとっても参考になるさまざまな例が出てくるかと思います。

 

陣内 イスタンブールは、コンスタンチノープルの時代から、そしてオスマン帝国になって、ずっと東西の交流の要の役割をしてきた。いかに多様な民族の人たちが交流した場だったか、よくわかりました。地理的にもイスタンブールは世界の中心だったわけです。日本を考えると、極東という東のはずれにあり、文化は中国から朝鮮半島を経て日本に来ます。またシルクロードを経てもっと西からも入ってくる。その終点が日本みたいなところがある。どんどん外来文化を受け入れ、主体性を持ちながら、日本らしい文化をつくってきたと思う。歴史的には発信があまりなかった。全くなかったわけではないが、経験が少ないのではないかと思う。戦時中は、大陸を侵略して植民地をつくり、文化などを押しつけた面があります。ところが、今は、ポケモンから始まって、新しいフェーズで、テクノロジーだけで、生活スタイル、価値観、ファッションなどを発信し始めている。藤井先生のお話で世界都市は複数あるだろう、その場合、非欧米で東京は有力な候補だとありました。その場合の東京が果たすべき役割、ポジションは、アジアへどんどん発信することもあるだろうし、欧米に発信することもある。今までになかった、新しい段階での日本のビヘイビアが問われているのではないかと思う。日本の若者も、非常にアジアに関心を持っている。しかし、まだまだアジア理解は足りない。イスタンブールは東西の交流、融合、そして発信という大きなポジションがあった。東京が世界都市となる場合に、どういうポジションがふさわしいのか。

藤井先生から重要な指摘がありました西欧化とか近代化のプロセスも、重要です。日本は、西洋文化を自分の意志のもとにそしゃくして、新しい、近代の文化をつくった。東京の空間を見ていると、最初から丸の内、日比谷、銀座にどんどん西洋のものを入れた。こんなことはアジアやアラブのイスラム圏ではない。トルコは、都市の真ん中にどんどん入れてしまう。しかし、イスタンブールの場合は、旧市街と海を隔てた新市街で、一応ゾーンを分けて近代西洋文化と伝統文化を二重構造にした面もあった。近代化、西洋化のメカニズムの上でのトルコと日本の比較、あるいはイスタンブールと東京の比較もおもしろいテーマと思う。一般的に、日本人は、もともとの文化の体系の中に西洋文化、近代のテクノロジーやセンスを入れてきたと思います。建築様式、都市計画、アーバンデザインといいますか、都市のあり方もそうです。

 

 

 

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