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この乖離がある。富士山は遠目に限るという言葉がありますが、東京は逆で、近目に限る。近くに、つまり住んでみると、それぞれの生活空間があって、日本人でない人々も楽しんでいただけるわかりやすさとか、いろんな面での改良を加えていくことが1つです。

第2の文化創造発信装置の強化は、非日本人を含めた才能を開花し、育成するという装置が大事です。いかに日本の文化がすぐれていても、ある時期になると、文化の性質上、日本人からだけでは生まれてこなくなると思います。というのは、すごく美しい文化があれば、それをぱっと奪う。それが文化のいいところと思う。だから、ほかの人に奪われるのです。奪われるたびに、また立派なものをつくる。さらに新しい泉を東京につくっていくことがきわめて大事だろうと思います。

第3点は、土地の個性です。東京にはいろいろなすばらしいところがあります。皇居、東京湾以外にも、神田の古書店街などがあります。これは同業集積です。そういう土地の個性を伸ばしていく。同時に新しい個性をつくっていくために、都市に里山などをつくっていく。東京湾等を含めて、そういう夢が随分あると思います。いずれにしても、東京はすばらしいものを持っている。さらにすばらしくしていく大きな原動力は、非日本人と一緒になって東京をつくっていくことです。決して日本の文化がなくなっていくことではない。縄文時代以来の古い文化、すばらしい伝統を日本は持っている。もちろん、いろいろな面での現実とのバランスの問題、ある種の規制などは必要ですので、急激な変化を唱えているわけではありません。21世紀に日本が生きていく大きな方向は、東京が、世界の人にとって魅力のある町になっていくことです。それがひいては日本が世界の中で魅力のある、尊敬される国になっていくことにつながる最も大きなことと思います。

 

青木 大変明確な世界都市東京に対する見方、その条件をさまざまなご経験の上から論じていただきました。世界都市を考える、東京を考えるための大きな基礎的な条件、問題点を出していただいた。それから、オスマン帝国は、日本歴史、世界歴史の知識の中に大きく欠落している。東西冷戦が崩壊した後、世界が民族と宗教によって分裂する、文明衝突的な状態が起こってきた。世界のどの国でも民族や宗教問題は大変です。こうした状況下で、オスマン帝国の多民族政策、多宗教政策は1つの理想を示したという議論が出てきました。それに触発されて、いろんな問題点が明らかになったと思います。ヤルマンさんの論文の中で、パレスチナ問題はオスマン帝国の時代にはある程度おさまっていて、エルサレムは平和的に維持されていた。その後イギリスによる植民地化、その後遺症によって現在のような紛争の地になってしまったというご指摘がありました。西欧中心の世界史を学んできたため、オスマン帝国の持っていた意味について知識が浅い。ヤルマン先生のお話を聞いて触発されるのは、世界を見る機軸が違うということです。日本を高く評価していただいて、新しい視点が展開される感じがします。

研究会のパネラーの先生方に、講演に関連した世界都市論をお願いします。

 

●ディスカッション

 

多様な文化の共存と発信

 

岡本 オスマン帝国時代は、開かれたシステムです。現在、これだけ世界が外に開かれ、ローカル性を大事にしなければ生き残っていけないときに、オスマン帝国時代のシステムが改めて注目されました。イスタンブールに1年ほど滞在して、現代のトルコ社会を中心に見てきました。確かに異文化、多文化の共存という側面と、その調整に苦労している一面がイスタンブールにあるのではないか。例えば、都市が開かれて、文明が多層的に重なっているローマ、ビザンタイン、イスラム、そして西洋の文明に開かれていくことで、物や人だけでなく、アイデアもどんどん入ってきました。文明が重なることで、特に現代のトルコには、西洋からナショナリズムの概念も入ってきました。文化を考えるとき、オスマン帝国とは違った形のナショナリスティックなものの見方も一方で強くなってきているように思います。開かれながら、しかもローカルなものを持ち続けるときに、現代のトルコ社会、イスタンブールという都市の文化の共存についてヤルマン先生はどのようにお考えになっていますか。

 

 

 

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