これは内部面のことです。世界でも財政、金融の面で非常に卓越しているという点を考えれば、東京の文化は世界にどのような影響を与えていくのか。2つの問題は関連しています。というのも、日本の文化を経験し、その魅力を熱心に自国へ持ち帰るのは、アウトサイダーたちだからです。日本を訪れるビジターたちは、土地の習慣の活気と魅力に感動するはずです。それがカラオケであれ、マンガであれ、超モダンなファッションであれ、例えばイッセイ・ミヤケやケンゾーのブティックなど、あるいはまた日本料理の美しさと気品に対する熱情であれ、遠くの国にいる友達にきっとこれらを勧めるでしょう。しかし、東京に住んでいる外国人が十分いなければ、起こらないのです。日本年鑑によれば、韓国人と中国人を除けば、日本にいる外国人はまだまだ少ない。
例えば、桂離宮など、京都の寺院や宮殿のすばらしさと魅力を世界に知らせたのも、ブルーノ・タウトやフランク・ロイド・ライトなど、外国からのビジターです。丹下健三の建築の、そのすっきりとした線は日本、米国、またヨーロッパの文化の境界をはるかに超越するほどの影響を及ぼしました。彼の設計によるトルコ大使館が東京にありますが、大理石でできたあのすばらしい建物は、世界中の建築様式に影響を与えた宝石です。日本が社会として、あるいは文化として外に開かれているのか、閉じているのか、そこが問われてくるのです。
文化的な純潔
非常に独特な日本の倫理、エシックスについて語ります。
日本はすばらしい前進を遂げたわけですが、これがアジア人の想像をかき立て、彼らは日本の成功にみずからの楽観的未来を重ねて見るようになりました。しかし、日本人の持つ非常に強い個人レベルの倫理、また自律、義務、忠誠心といった実に奥深い観念は滅多にまねることのできないものです。徳川家康は、「人生でほんとうに強く、男らしい人間というのは、忍耐という言葉の意味を知っている者だ。忍耐というのは、自分の傾向を自制することである。感情には7つある。喜び、怒り、不安、愛、嘆き、恐れ、そして憎しみである。そういう感情にみずからを降伏させない者こそ、忍耐強いと言われる人間である。私の子孫が私のようになりたければ、忍耐(強さ)を学ばなければならない」と言っています。
この美徳は、徳川将軍家の外国に対する反応に最も顕著にあらわれています。徳川将軍は日本を200年という長きにわたって閉ざしたのです。この経験は、日本を形づくるもの(formative)であったと考えます。
日本が他の文化に深く影響を与えていくに従って、それはまた当然、外からの文化が日本の文化を変えていくことになります。アメリカ文化が世界中に影響を与えているように、既に起こっていることです。純粋主義の多くの人たちが、日本はもはや我慢できないほど外国の文化に汚染されていると言っています。三島由紀夫の小説、『奔馬』を思い出します。小説の中で、神官が、電線の下を通る際に、外国から来ている恐ろしい電流に自分たちが汚染されないようにと、自分たちの頭を扇で覆って通るという場面があります。日本は、三島の切腹以後も進歩を遂げてきましたが、幾つかの議論が浮かび上がってきます。東京がみずからの文化的メッセージを世界に発信し、影響を与えながら、他方であまり世界的な要素を受け入れ過ぎずに世界都市になれるのか。また、自分たちの文化の純粋性と一貫性を保つことができるのか。あるいは、ニューヨークやロンドンやパリのように、たくさんの外国人、銀行家だけでなく、画家、詩人、アーチストや音楽家なども受け入れて、彼らがもたらす活気と文化の混沌としたミックスが、魅力と危険のあふれる東京を世界都市とならしめるのか。それはこれから明らかになっていくことでありましょう。
基調講演2]
青木 次に、藤井先生にお願いします。
藤井 私は学者でなくて、生活者として、東京以外の8カ国に住んでいました。8カ国ではなく、8都市に住んで、そこで仕事もし、子供を育てたわけです。それ以外に旅行等でいろんなところに行っています。