この額もまた注目すべきものがあります。1999年、日本の資産はプラス8,290億ドル。ドイツはプラス640億ドルです。一方、イギリスは、マイナス2,400億ドル、アメリカはマイナス1兆9,160億ドルです。日本では、前年の1998年はさらにこういった金額が大きかったわけです。『エコノミスト』はさらに、90年代初頭以来、アメリカの純債務は倍以上になっており、日本の純資産は同じ期間にどんどん膨らんでいったと書いています。こうした数字からも、日本の驚くべきダイナミズムを見てとることができます。
環太平洋地域のバイタリティーに皆さんは驚かないかもしれません。しかし、大変な人的、物的資源がこの地域に存在していることから、世界全体の経済と金融が大きく方向を変える瀬戸際に来ているのは疑いのないことです。例えば、世界で最大規模の建築用クレーンが今上海に結集していると言われています。これは極東と東南アジアではどこも状況は同じです。インドもまた、珍しいほどの経済の活気を呈しています。インドのコンピューターの天才たちがシリコンバレーでつくってきた驚くべき会社を考えてみてください。ドイツ、イギリス、アメリカなどは、それぞれ競って移民ビザをインドのコンピュータープログラマーや技術者に対して発行しています。そして、インド南部のバンガローは、既にハイテクメトロポリスになっています。アジアの経済活動がこのように増大してきたのはバンコク、シンガポール、ジャカルタ、台北、香港でも明らかです。その結果、東京の金融、また知的、文化的中心都市としての求心性と重要性もまた増しているのです。
都市の記憶
大都市が人々に愛されるのは、人々の個人的メモリー、記憶が層をなす場所の集まりだからです。家族の長い歴史が、何世代にもわたり深い愛着を生んでいきます。また、歴史の積み重ね、重要なイベント、重要な人物、そういった人たちの賞賛にまつわる記憶の集まりでもあります。そして、大都市を歩けば、記憶と歴史の痕跡を肌で感じ取ることができるのです。
陣内先生が東京について書かれた『東京の空間人類学』というすばらしいご本から引用させていただきます。先生は、山の手にある丘やがけ、曲がりくねった道、神社の木立、大きな青葉の繁った屋敷、下町の運河や橋、横丁、そして店の前の植木鉢、建て込んだ繁華街からなる地勢のすばらしさを語っています。また、新しいものと古いものの要素がさまざまに重なり合って、世界でも類を見ない都市空間をつくっていると言っています。
次に、聖なる空間の重要性について語っています。それは江戸時代に、江戸を守るために建てられたとする3つのお寺、すなわち浅草・浅草寺、上野・東叡山寛永寺、芝・増上寺です。寛永寺は、上野の山に1625年に建立されました。これは江戸城の北東に当たる悪い方角「鬼門」を守るという役割を持っています。また、増上寺は、1598年に現在の赤坂・麻布の東の端に移転し、これによって南西の方角を守ることになりました。そうして3つの寺を囲んでそれぞれ寺街が形成されていきました。陣内先生は、これはすばらしい都市であり、今日我々が享受している東京というすばらしい環境は、江戸時代の都市計画の遺産であると語っています。
コンスタンチノープル
古代からの歴史を持つイスタンブールのような都市には、同じような多くの記憶があるのではないかと思うのです。ヨーロッパには、ローマ時代の寺院や荘厳な建築物に囲まれた競走場などのあるコンスタンチヌス大帝の都市があります。競走場の栄光をたたえるためにすばらしい4頭の馬の彫像がギリシャのデルファイから運び込まれました。さらに、この壮大な公共の競走場を飾るエジプトから来たオベリスクには3匹のへびが絡み合った珍しい像がついています。また、皇帝の大きな銅像が高い柱の上に立っています。ローマの伝統によると、皇帝のダイモーン、皇帝のスピリットが神性として市民からあがめられるものとされていました。実際、こうしたローマ皇帝らの寺院崇拝への不参加が、帝国に対する反逆者であるとして初期のキリスト教徒が迫害される引き金になりました。
この時期、つまり300年ごろですが、コンスタンチヌス大帝はキリスト教徒になるかどうかまだ決めていませんでした。