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例えば、香港中文大学や香港大学の評価制度はイギリス流です。そういう点で国際的な都市です。また、香港市場もある程度注目されているのですが、香港が果たして世界都市かとなると、これは疑問です。香港は確かに国際的都市ですが、世界都市という概念とは違うのではないかと思うのです。

世界都市は、世界の1つの中心になって、政治経済、文化の発信的な要素が求められる。世界を動かすような力がないと世界都市とは呼べません。香港にはそんな力はない。シンガポールも、国際的な大都市ですが、政治、経済、文化、歴史で世界都市の条件を踏まえているかというと疑問です。さまざまな国際スタンダードはクリアしていますが、世界都市と言うには、ちょっと条件が欠けるのではないか。発信性、重み、求心性といったものでは弱いのではないかと感じます。

じゃ、東京はどうか。東京は、世界都市としての条件は潜在的に持っていると思うのですが、都市へのアクセス、空港などの条件、国際的なスタンダードをクリアしているかどうかという点で難点があります。アジアの都市では、北京、ソウル、上海、デリーも、大変貌を遂げようとしています。アジアの都市間のメガ・コンペティションが始まって、あらゆる点で自分たちが世界の中心の1つだと言い出しています。単にマネーだけではなく、さまざまな人を世界から誘致しようとしています。東京は、観光でも、北京、シンガポール、香港、バンコクなどと比べて吸引力が低い。都市としての、あるいは世界第2位の経済的な力を持っている国の首都としての潜在的な力はあると思うですが、それがうまく表現されていない、あるいは引き出されていない感じがします。大変、残念なことです。

最初にハーバード大学のヌール・ヤルマン教授にお話をお願いします。

 

基調講演1]

 

ヤルマン 青木教授とは長年にわたって東南アジア、スリランカ、タイ、その他の国々での仕事を通じおつき合いをしていますが、世界をよりよいものにしていこうと、いろいろ努力をしてきた、そういう仲です。

 

歴史の潮流

 

まずは歴史の潮流を考えてみました。そして世界の体制の変化について考えてみました。西暦1000年に、もし世界の人々に、世界の中心はどこかと尋ねれば、風にさらされた北大西洋岸の、後にマンハッタンと呼ばれる島とは決して答えないでしょう。テームズ川流域の、イギリスにあるぬかるみの村、現在のロンドン、と答える人も、また現在のパリであるセーヌ川沿いの、これまたぬかるみ地帯と答える人もいないでしょう。インドには大きな城もありましたが、しかし中心的な都市はなく、美しい江戸もまた、こういった世界都市の候補ではなかったのです。

ローマは、何世紀にもわたって広大な帝国の中心であったわけですが、後にコンスタンチノープルにその座を譲りました。325年から、カルロウィッツでオスマントルコが初めて戦いに破れた1699年までの間、それ以降にもコンスタンチノープルが世界の中心であったということは、広く意見の一致するところだと思います。そういう意味では、世界都市と呼ぶにふさわしいことになるわけです。世界の歴史でいえば1,400年近くにわたるわけで、東ローマ帝国、ビザンチン帝国、そしてオスマントルコ帝国という3つの帝国がコンスタンチノープルに焦点を当てていたということになります。

これは驚くべきことではありません。かつてビザンチウムとコンスタンチノープルと呼ばれていたイスタンブールは、他に類のない戦略的位置を占めていた。アメリカの不動産業の人は住宅の値段は何よりも場所で決まると言います。コンスタンチヌス皇帝も当然自分の都市を選ぶ際に戦略的なことを考えていたわけです。イスタンブールはアジアからヨーロッパへ行く陸路にあり、黒海と地中海をつなぐ重要な海路上にあります。これによってオスマントルコは、ヨーロッパとアジアとアフリカの主要地(reale state)を支配し、宇宙を所有していると思っていた。イタリアの航海王コロンブスが1492年に新世界を発見すると、物事は変わり始めました。その後も200年ほどは、地中海が人々の注目の的となっていたのです。

 

 

 

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