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下町は職住近接の街

 

川本 職業別で言いますと、下町は職住近接で、職人たちが住む。1軒の家で、ある部分のパーツをつくって、隣へ持っていくという具合に、町全体が工場になっている。職人にとっては、非常に住みやすい町だったのです。山の手は逆に職住分離になっている。東京の盛り場の成立は、職住分離とかかわっていて、サラリーマンが家と会社の往復をしているうちに、途中下車をするようになって、生まれてきたと思う。「旅の恥はかき捨て」みたいなところがあって、そこでかなりいかがわしい空間が生まれてくる。

 

陣内 江戸時代は、下町と山の手で、ビジネス空間も、業務空間も全部カバーできた。

 

日下 業務はなかった。大名の社交だった。

 

陣内 一応、大名屋敷の中に、お役所機能がありました。江戸時代は、日本橋あたりがビジネスで、本来、下町が中心だった。しかも、お城の下の下町ということで、ダウンタウンとは違うプライドも持っていた。近代になって、そういう下町が追い出され、浅草とか深川が下町のイメージになった。中心部が業務空間、ビジネス空間に変わっていった。業務空間は小説の舞台にならない。

 

川本 源氏鶏太のサラリーマン小説くらいです。

 

日下 戦後は映画も小説の舞台も丸の内と銀座ばかりです。江戸時代は職業ごとに居住地を固定した。二代、三代続くと、同じ職業の人が、みんな親戚になる。例えば、大工の町の中だけで結婚しますから、大工はみんな親戚です。

 

青木 カーストというのは職業集団ですから、一種のカーストみたいなものです。しかも身分制はちゃんとある。

 

川本 人形町という、江戸時代からある古い町があります。あそこは何気ない商店でも、みんなもとをたどると江戸時代からだったと言うんです。ただ、店の形態は変わってきているが、変わり方が納得できる変わり方をしている。例えば、人形町の交差点の角に、ギフトショップがある。その店のもとをたどると、日本橋に魚市場があったころ、そこの人たちが使う竹かごを売っていたと言うんです。それがかばん屋になり、現在の店になっていったという。いきなり自転車屋になったりはしない。谷・根・千はどうですか。

 

森 酒屋だけで300年続いている店もあるし、業態を変えることによって、どうにか生き延びている店もあるのです。文明開化になって、例えば、玉磨き職人はレンズ研磨をやったり、指物師がカメラの暗箱屋になる、刀鍛冶が違うものをつくるとか、時代に即応して、同じ技術で違う物をつくっていくようなケースは多いと思います。

 

岡本 東京のことをあまり知らなかったのですが、下町、山の手、郊外、暮らし方とか、人の空間の使い方が違うことがよくわかりました。行政的な発想の開発は、全然違った発想でくるんですね。しばらく江東区に住んでいたのですが、耐えられなくなって世田谷へ引っ越したのです。東京都現代美術館のすぐ近くで、木場公園がある所でした。歴史もあるし、おもしろいのですが工業地帯で、大きな道路がばーんと通り、生活空間部分は切り捨てられています。あれだけ空気が悪くて騒音があると、とても住めないんです。昔からいる人は別にして、新しく入ってきた人は、耐えられなくなって出ていきます。生活の多様性という意味では、続いていかない。その辺のずれって、何か残念な感じがするのです。

 

陣内 多分、江東区の中でも、いろいろ多様性があると思う。

木場の辺りは、あまり住みこなした歴史が、長くなっていないのではないでしょうか。あの辺りは、大きな貯木場の水面がたくさんあった。全部埋めて、緑地にし、美術館ができた。しかしもともとの風景とか、土地の成り立ちと大分違う。富岡八幡宮とか、隅田川のほうに来ると、ある意味でいいコミュニティがある。おいしいものもたくさんあるし、川本さんがお好きな居酒屋もある。

 

岡本 現代美術館や富岡八幡宮に行くまでに、倒れてしまいそうです。

川本現代美術館はそれが一番問題で、アプローチが悪すぎる。殺風景な風景が続いていて、歩いたって全然楽しくない。

 

 

 

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