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電車の郊外・私鉄の郊外

 

中央線の発達は、関東大震災後で、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪と駅が次々に開発されて、周辺が住宅地になっていきます。この郊外には、3つのタイプがあり、最初に発達してくる郊外は、中央線の沿線に沿った町です。高円寺、阿佐ヶ谷、中野、荻窪の辺りです。私は「電車の郊外」と呼んでいます。「電車の郊外」の特色は、電車の駅が、町の中心です。ですから、東京という町のミニチュア版が郊外の町に1つ1つつくられていく。電車の駅が中心になって周辺に商店街があり、その奥に住宅街がつくられていく。谷・根・千の町とは違う形のまちづくりです。

「電車の郊外」のバリエーションとして、「私鉄の郊外」があります。渋谷から出ている東横線の沿線、新宿から出ている小田急線の沿線とか、私鉄電車が住宅地を開発してできた郊外で、微妙に国電の「電車の郊外」と、私鉄の郊外は違います。「私鉄の郊外」が、関西の阪急電鉄沿線と同じように、ややハイカラという感じがします。

 

歴史のない車の郊外

 

3番目の郊外は、「車の郊外」で、これは高度成長の後にできてくる多摩ニュータウンをはじめとして、車社会になってから生まれた新しい郊外です。これが今、問題になっている。車を持っていないと生活が成り立たないという殺風景な郊外住宅地です。金属バット殺人事件とか、いろいろな問題が集中的に起きているのがこの「車の郊外」です。

明治末から大正にかけての郊外を考えると、最近気になるのは、軍隊のことです。戦前までは、軍隊が歴然としてあり、その軍用地が、東京の郊外にどんどんとつくられていく。

その軍用地が、その後どういう変遷をして現在に至っているか。例えば、六本木という町を考えますと、現在、悪い意味のグローバル化が進んでいる。今は「東京租界」と呼びたいような雰囲気のある町ですが、東京の郊外であったため、陸軍の歩兵連隊が次々とつくられた。2・26事件を担った歩兵第7連隊とか第6連隊です。六本木は、戦前は軍隊の町だった。その軍隊の町が、戦後米軍に接収されます。米軍の接収で良くも悪くもアメリカ文化が入ってきて異界化していく。それが東京租界的なグローバリゼーションが行われている町に変わるわけです。

井伏鱒二の『荻窪風土記』をとり挙げます。谷・根・千のような明治時代からある古い町には、森鴎外とか、明治の文豪たちが住むわけですが、関東大震災後に開けた西の郊外は井伏鱒二から始まり、太宰治、青山瑞穂など、昭和の作家たちがここに住んでいきます。戦後の高度成長期になると、中央線の武蔵野、多摩ニュータウン、さらに神奈川の田園都市線の沿線へ、私鉄の郊外、車の郊外へと、郊外が広がっていきます。

この郊外の住宅地の特色は何か。これを考えるのが非常に難しい。1つは、いい点も悪い点も全部ミックスされているが、新開地で歴史がないということです。歴史がないことが、逆に良い面でもあって、解放されて、若い核家族が過去のしがらみから逃れて、新しい生活をつくることができる。大正デモクラシーの進展、あるいは戦後の民主主義の進展は、郊外住宅地におけるホワイトカラーの家族を抜きにしては考えられないことです。

もう1つの特色は、都市近郊の農業地だったところに、マンションが次々に建てられていく。移り住んだ住人の心の中に、何か自分は新参者であるという意識が常にあり、それが不安な意識をつくり出していく。一方では、新しい生活形態をつくるのと同じようにプラスの面もあるのですが、同時に、何か古いケヤキの木を切って、そこに建てたマンションに自分が住んでいるという後ろめたさ、不安感を常に郊外生活者は、持たざるを得ない。

私の家の周辺で起こっているトラブルの多くは、新しいマンションが建つと、近隣に前から建っているマンションの住民が「太陽を奪うな」という垂れ幕を立てて反対闘争をするということです。反対している人間自身が、そのマンションが建ったときには、既にだれかの太陽を奪っているわけで、その繰り返しが郊外では行われている。だから、郊外住宅に住む人間とは、どうも自分に自身が持てないことがあるのではないかと思います。

 

 

 

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