これからはできるだけ残されたものを大事に使って、それをまた再生していく。例えば、東京駅のように。私たちの地域では、例えば、明治23年の東京音楽学校の奏楽堂、吉田屋酒店とか、幾つかの建物の保存、活用の活動にかかわってきた。これも街頭署名なんか、日本人は逃げるのですが、外国人はちゃんとサインして、がんばって下さいと握手してくれる。こんな美しい歴史ある建物を壊すなんてテリブルなことだと。
最近聞いた話では、山谷に泊まるのが外国人の間ではやっているらしい。ちょっと危険なところに泊まってみたいという意識が非常に強い。日本人のバックパッカーたちも、カルカッタのパラゴンホテル、バンコックの楽宮ホテルとか、下町のちょっと危ないような安宿に行って、それはちょっとオリエンタリズムでもあるけど、かけ値なしのその国の本音が聞きたいといった旅行者も増えてきています。私たちの町は、一泊何万円といった高級ホテルでなく、バックパッカーとか、若い人たちが滞在できる東京です。「澤の屋」や、「勝太郎」というのがあるのですが、民宿をやりたい人も増えてきています。
「谷・根・千」の最後のページに地図があります。最近の人気スポットや、しゃれたお店などが載っていますので、どうぞ、私どもの町にお越しくださいますようにお願いします。
●ディスカッション
坂の名称の由来
青木 大変興味深いお話をいただきました。
東京の地名、坂や通りの名前はすごくおもしろい。暗闇坂はどこでもあります。たぬき坂がありますが、きつね坂はどの辺にあるのですか。
森 きつねはないけど、むじな坂があります。
青木 たぬき坂があると、必ずきつね坂があるのですが、麻布のように。御殿坂にもみじ坂とか、首ふり坂とか、すごくおもしろい。
東京は坂の町ですが、どうやって名称をつけたんでしょうか。
森 「谷根千」地域の一番北の丘にある首ふり坂は、昔、首を振って通るお坊さんがいたからついたらしいのです。みんなが何となく言い出すようになった名前と、行政がつけた名前は違う。年代によっても違います。2つも3つも名前がある坂もあります。
青木 あかぢ坂はどうですか。
森 あかぢ坂は、昭和2年の経済恐慌の引き金になった渡辺銀行があかぢ銀行と言われまして、現在地に屋敷があったんです。それであかぢ坂。そのうち赤字で倒産したため「赤い字の坂」という名になってしまったのです。
青木 団子坂はどうですか。
森 だんごのような石が多かったという説と、みんなが急な坂でだんごのようにころころ転がるという説と、坂上にうまいだんご屋があったという説と3つあります。
青木 東京をチェックして、そういう坂の名前とか通りの名前を、区画整理をされない前に調べるとおもしろい。
陣内 江戸東京自由大学は坂と橋をテーマに研究しています。東京は確かに坂と橋の町です。だから風景が変化することはあっても、坂の名前が消えることはないと思います。
青木 富士見坂はどうですか。
森 太田道灌も「富士の高嶺を軒端にぞ見る」と歌に詠んでいますが、これは江戸では大変な心情的価値があります。広重や北斎も画面のどこかに富士を描いています。
陣内 東京の坂はあらゆる方向に延びていくことが非常におもしろい。
青木 これだけ坂がある世界都市は他にありますか。パリも坂がたくさんある。イスタンブールも結構あります。ローマもそうです、7つの丘。
森 ローマは、やっぱり名前がついているんですか。
陣内 ある場合もあります。
青木 こんなにフォークロア的な名前がついているところは少ないのではないですか。イスタンブールはついていますか。
岡本 ついていないです。
陣内 東京のように味わい深い名前はついていない。
青木 これは東京の1つの大きな特徴です。