私たちの町は、非常に情報が早く伝わる町でして、口コミがすごく機能しています。コミュニティがまだあるからだと思うのですが、よく映画のロケで、松坂慶子を見かけたよとか言うと、その日のうちに町中に松坂慶子が来たと伝わる。郷ひろみが根津神社で映画を撮っているとか、すぐ伝わる。新しい店ができると、あそこにお店ができたけど、知ってる?とか、行ったとか、おいしいとかいう話がすぐ伝わる。ちょっと怖い。一度悪い評判がたつと、それを消すのはむずかしいのですが、火事や泥棒があったときもすぐ伝わりますし、町内放送まであります。そのコミュニケーションが雑誌によってますます誘発されている。
商売替えが、このところ、15年ぐらいで進んでいるようです。おもちゃ屋さんやめがね屋さんがどうも立ち行かなくなって、ファストフード店やちょっとしゃれた飲み屋さんになったり、クリーニング屋さんが喫茶店になったり、民家を改造した料亭ができたりしました。
職人さんも後継ぎがいなかったのが、人が来ることによって最近では、竹かご屋さんの息子さんが、ボクサーをやめて竹かご屋になるとか、あめ屋さんの息子さんも、サラリーマンをやめて、昔ながらのたん切りあめをつくるようになった。それが先々いい選択かどうか、不安ですが、どんどん人が来ることによって、商売は立ちゆくのです。
最近増えてきたのは、手仕事系のクラフトハウスとか、ギャラリーとか、古美術商です。最近、若いグループがつくった「谷中道中すご六」を見ると「谷根千」地域も国際化しています。ここにはジム・ハサウェイさんと、パク・サンヨンさん、エリザベスさん、デニーさんとか、いろいろな外国人の名も出ております。彼らはここに住みつき、日本のくらしを愛し、町の活動に参加している。いろいろな職人さんの紹介もあります。私たちが雑誌を始めたときは、芸大がこんなに近いにもかかわらず、一つもギャラリーがなかった。芸大の学生たちは、高いお金を払って銀座で個展をやるのは大変ですから、近くに安く借りられるギャラリーが欲しかった。今、「谷中芸工展」で、いろいろなアートが見られます。参加もできます。
アフリカ、韓国、中国、ペルシャ、トルコ、インド、イタリアなど各国料理の食事ができる店、マッサージハウスやアジア系グッズの店も増えているようです。
私たちとしては、みんなが楽しく集まってまちづくりをするだけではなく、参加しない自由とか、ほうっておいてもらう権利とか、違う生き方のできる町にしたいと思っています。
クローバル化
こうして外国人も住みたいと思う町になっていて、春先になると、芸大や東大への留学生から、こんなうちに住みたいというファックスが私のところに来る。長屋に住みたいとか、蔵に住みたいなどはかなえてあげられますが、中には武家屋敷に住みたいという人がいて、ほんとうに困ってしまった。さすがに武家屋敷はありません。
お寺の離れに住みたいとか、結構、外国人は要求が厳しくて、ジョージタウン大学の先生のジョルダン・サンドという人がいました。彼が16年前、コロンビア大学から東大に留学するときに、古い家に住みたいというので、探して歩くのに3カ月ぐらいかかりました。もういいかげんにしてよ、このぐらいで満足してというのに、なかなか納得しない。そのおかげで、町の中のいろいろな建物を見ることができました。彼とは調査も一緒にやって、岩波から『佃に渡しがあった』という本もいっしょに書きました。留学生や画家、インド料理をやっているインド人の方、ペルシャじゅうたんを売っているイランの人とか、いろいろな人が住んでいて、その人なりのコミュニケーションを持っているようです。
住んでいる人以外にも、『澤の屋は外国人宿』という本を出版した「澤の屋」というジャパニーズ・インをやっている安い宿があります。一泊4,200円ぐらいで泊まれるのですが、そこに泊まる人が、年間4,000人以上いる。この宿は修学旅行の宿だったのですが、日本人の修学旅行生は、東京に行ったらホテルに泊まりたいという。それで、3日間連日、客がゼロの日があって、悩んでいました。どうしたらいいだろう、外国人相手にやったらどうかということで方針を変えたら、今、すごくはやっている。