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区はこういう事態に“民事不介入”ということで傍観しているだけでした。自主建設の建てかえの応援をしたり、地上げ屋をどうやって拒否するかなどをこの時期は一生懸命やっていて、とても文化だとか、保存だとかというような余裕がなかった時期がありました。

1つの例を言いますと、さっきのスライドで出たところは、地上げ屋が入って、結局、最後まで残った家の人は、今はがんばって3階建ての自主建設をしています。地上げ屋はラスベガスでとばくがらみで殺されています。あとは、千代田生命が買って、ビルを建てたりしていたが、あのころは随分、生保マネーが動いていたような感じがします。

神田なんかでもそうですが、大体地主さんが等価交換などでその土地に残れる場合でも、地主が上の最上階にたな上げされ、一階はオフィスになる。最上階に行きますと、景色はいいし、日当たりもよく、仕事を手放し、仲間を失う。隣り合わせで、日ごろ、醤油の貸し借りをしていたような人たちが、お互いビルの屋上に行っちゃうと、つき合いが非常に減るんです。1階が高く貸せることもあって、そうなるのでしょうが、1階に地主がいるような開発ができないかと考えています。神田あたりでも、どんどんビルにするだけでなく、古い建物をうまく修復して、SOHOのような形にすることが、最近では進んでいるようです。

 

町の変化

 

私たちの町の話に戻りますと、地上げが一段落したころから、マスメディアに、静かで人情があっていい町だと紹介されたこともあって、谷中や根津に住みたい、ここで商売をしたい、飲み屋をしたいという人がかなり増えてきました。最近、東京では神楽坂に住みたいという人も結構います。北千住にも住んでみたいといって蔵を改造して住んでいる若い人がいたりして、住みたい町がちょっと変わってきつつあるのではないか。4畳半の木賃アパートを和風なグッズで飾りしゃれた感じで住んでいる人、床の間をベッドにしちゃうとか、和服で靴で歩くとかいう若い人たちもいます。

町に住むことをどうすれば楽しめるか。第一に、休日とか仕事がない日に散歩したい。第二に、おいしいものが食べたい。第三に、人と知り合って何かおもしろいことに参加したいという3つが大体、みんなの共通の願いという感じがします。それは私たちの町は完全に満たせる。画一的なニュータウンではこの3つともなかなか叶えられません。住んでいる人の年代、職種の多様性が刺激になるんです。

これまでは、町の人でも町というものを意識しなかった。谷中とか根津がどういう町だかということを知らなかったんです。最近ではそれを意識してきています。場末とか、さえないとか、抹香臭いというようなマイナスイメージではなくて、プライド・オブ・プレースといいますか、町が好きだ、面白い、だからここに住み続けたいという意識が非常に強くなりました。これは中にいるだけでは当たり前過ぎてわからないことが、外からたくさん人が来ますと、その人たちが「ここはいいですね」とか、いろんなことに気づかせてくれる。外からの目は大切です。釣り竿やさんが2軒あるのは東京でも珍しいとか、このつつじの鉢はみごとだとか、いろいろなことを言ってくれるわけです。町の見方、評価のしかたを、町の人もいろいろ教わるのです。自分たちはこの町に6代も住んでいるけれども、「谷根千」に書いてあることで知らないことがとても多い、こんなにおもしろいことがいっぱいある町なんですね、なんていうこともよくいわれます。

大事なことは、観光地ではない、やっぱり住宅地として住んでいる人たちを守るためには、見学のルールづくりということをしなくてはいけない。例えば、お寺さんにとんでもない時間に行って、墓場に勝手に入り込んだり、御朱印を押してくれなんて言う人がいる。本堂の上に上がってお弁当を食べる人がいます。やっぱりお寺に入ったら、まず一礼をして、できたらおさい銭を上げて拝んでから見学しましょうとか、静かに歩きましょうとか、いろいろなことを少し言わなければいけない。そういうコーディネート機能も果たしています。

 

 

 

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