東京オリンピックのときも、自分たちの町だけは近代化におくれて、よそが高速道路が通りビル化する中で、相変わらずかわら屋根に、茶色い下見板の町でした。寺町ということが、そのころは不気味とか抹香くさいというイメージでとらえられていたんです。また江戸時代は、神田や京橋、銀座に比べると確かに場末である、そういう意識も非常に強かったように思います。
それが、活動をしていく中で、相当イメージが転換されまして、人情がある、文化人の愛した、ほっとする町ということになった。第一に静かなんです。ここは高速道路もないし、歩道橋もない。谷中はバス停しかない。それから、道が入り組んでいまして、あまり通過車輌が入ってきにくい。焼けなかったことで、区画整理がされなかったので、路地や横町がいっぱい残っている。台東区でも、ほかのところは、大体中規模の道が碁盤の目状にあって、その両側に、ほとんど似たり寄ったりの中小ビルが立ち並ぶような気配がずっと続くんです。ここの町はそういうことはない。ですから、非常に五感に訴える。鐘の音や、勤行の声とか、お香やお茶をいるにおいとか、いろいろ快いものがあるのです。
それから、非常にやさしい人が多くて、人情に厚い町です。これは助け合わなくては生きていけないという貧乏とセットでもあるのです。そして、作家や学者や美術家が多くいました。岡倉天心、森鴎外、幸田露伴、樋口一葉、夏目漱石、横山大観、みんなここに住んでいたことがあります。
では、どんなことをしたかと言いますと、まず、その土地の大事なものは何なのか、それに気づいていってもらおうということでした。これから少しスライドをお見せします。根津神社は、国宝に指定されています。この小さな町には不似合いなくらい大きな神社です。大円寺は昨日まで私たち、お祭りをここでやっておりました。日蓮宗が非常に多いんです。永井荷風による笠森お仙の碑がある谷中の瘡守様として信者を集め、根津教会は、明治の初期からあります。ミッションの人が本郷周辺の知識層から布教しようとしたのか、随分教会が多いんです。
これはお風呂屋さんを改造して新しいギャラリーにしているところです。
観音寺の200年前の土塀もありますし、細い道にひっそり質屋さんがあります。これはお寺の門前にご住職の趣味でやっている植木鉢です。
これは地上げの跡ですが、不動産会社が、五間長屋を切ってビニールシートをかけたままという、ひどいことをして、60軒ぐらいのコミュニティを一軒を残して買い占めたところです。
これは、富士山が見える富士見坂で、東京23区内に18ある富士見坂のうち唯一地べたから完全な富士山が見えたのですが、最近、1.5km先の本郷通りにビルが建ち見えなくなりました。このような長屋のようなものも多く残っています。これは3階建ての民家、串揚げやさんになっています。
これはほたる坂アパート・という古いアパートで、片側は建て替え、片側は改装されました。
片側は長屋です。これも、路地というオープンスペースの使い方を見ると非常におもしろい。つまり、片側は地主が個々の住人に売ってしまった。するとみな建て替え、敷地ぎりぎりまで張り出したり、塀を建て、みんなのものだった元の路地がまったく機能しなくなった。
これは谷中学校といいまして、民家を改造してまちづくりの拠点になっているところです。
これは諏訪神社のお祭りの様子です。
神社、寺、民家、大木、路地、稲荷、井戸、広い空、職人の手技、生活のしかた、人づきあい、そのような、自分たちの持っている財産というものに気づきます。多くの人に気づいていただくようなことを、雑誌を通じてやりました。また、みんなが共通に深い思いを抱いているか、だれでも自分なりの思い出を持っているようなものは何かということで、不忍池、五重塔、藍染川とか、そういうランドマークというべきものの調査をしてきました。
そうすると、やっぱりここはそんな場末、さえない町、近代化に遅れた町でなく、近代文学や美術の発祥地であるということで、漱石、鴎外、露伴、一葉や岡倉天心なども特集しました。
もう1つは、従来の地域史、行政の出している市史とか町史ではやっていないような細かい生業(なりわい)の調査をし、お豆腐屋さんやお米屋さん、おせんべい屋さんの特集とかをしながら、そこに住んでいる人たちが、どのような生活の中に喜びや悲しみや苦労を覚えているか、どんなことを印象深く思っているかなどを調査して雑誌に特集でまとめてきました。