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東京については、利用する者としては、こういった手続きの部分、システムの部分は魅力を支える非常に重要な支えのファクターだろうと思います。

 

●ディスカッション

 

川本 イスタンブールの人口が1945年の100万人から1996年の1,200万人に10倍以上の増え方ですが、この原因は何ですか。

 

岡本 一つは、イスタンブールの都市自体が大きくなっていることがあるのですが、東南部のクルド族の問題があります。1923年から1940年までの国土開発が、うまくいかなかった。従って、東部では生活ができないということで、東南部からの移民が1930年代から始まって止まらない。1950年代からは、道路が整備されたため、人の流れが容易になった条件がありました。もう一つは、1980年代にオザル政権ができたときに、経済発展政策をとるのですが、そのときの恩恵が、大都市に集中してしまいました。特に、アンカラ、イズミール、イスタンブールの3都市です。

 

陣内 イスタンブールを私は大好きで、何回か行ったのですが、いつもおもしろいと思うのは、ローマ、ビザンチンから続いてきている旧市街です。ここにはモスクとか歴史的な文化、空間建築もいっぱいあって、観光ではみんなここへ行くわけですが、現実の経済や文化の中心は完全に新市街。もともと外国人のコミュニティーがあって、ヨーロッパの文化の窓口で、ハイカラなというか、近代につながる舞台は金角湾の北側で、どちらかというとお金持ちとかインテリが住んでいます。中央アジア側が独特の居住地になっていて、すみ分けというか、機能や役割の分担が見事です。例えば、高級住宅地に住んでいる人は旧市街には、ふだんあんまり行かないでしょう。

要するに、今のイスタンブールの活力ある文化を生み出す場とか力、メカニズムがどうなっているのかな。歴史的なイメージに立脚して、イスタンブールらしさ、あるいは観光や観光に近い文化を担っているのが旧市街。それ以外の現実のイスタンブールらしいところは実は違うところにある。これは東京でも多少、下町と山の手とか、ゾーン分け、イメージ分けがあると思うのですが、この辺をもうちょっとインテグレートしたほうが魅力のある街になるんじゃないかと思います。しかし、うまく結界があって、金角湾とか、海が入り込んでフェリーでないと渡れないとか、そういうことがかえって、変にまざらない固有の文化をキープするのに役立っているようにも思う。住んでいる人が、一体どういうふうにそのエリアを認識して使っているのかが興味あるところです。

 

混血の壁は人種よりも宗教

 

岡本 いわゆるイスクダルのアジア側、旧市街、新市街と全然違うのです。違うといっても、経済的なかかわりで言えば、かなりまざり合っている。つまり、アジア側でも、バーダットストリートと言われる、新しくできた大通りから海側は経済的には非常に裕福な人たちが住んでいる。それよりもさらにアジア側に行くと、一夜城と言われるゲジュコンジュです。アナトリア側から来る貧しいトルコ人たちが住んでしまう。今度は、旧市街を延長していきますと、イスラム色の濃い人たちがいて、さらに行くと、今度はブルガリアなど、東欧側から来た貧しい人たちが、ゲジュコンデュをつくっていく。新市街のほうは、2代、3代にわたるイスタンブールっ子が根差すという形です。

その間はまざらないですし、アナトリア側はちょっと違うんですが、新市街、旧市街は、今、ほとんど対抗関係にあります。ただし、経済的な対抗関係だけでも説明できないし、文化的な対抗関係だけでも説明できない。コミュニティーが貧しい人たちといっても、村ごとにかたまっている。大まかに言うと、新市街、旧市街で対抗関係はあるが、それぞれがまとまる軸は何一つとしてない。

例えば旧市街の文化的な資源と新市街のダイナミズムを合体させましょうということになると、旧市街の中でも意見が割れますし、新市街のほうでも意見が統一できない。分割点があまりにたくさんあり、経済レベル、出身地、宗教的な違い、特にどのくらい敬虔なイスラムかはかなり幅があり、それでまとまりがない。

 

 

 

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