こういったことを考えますと、世界都市としてのイスタンブールから新しいものを生み出していくダイナミズムは、確かにそれを支える仕組みというのをつくらないとうまくいかない。都市において何が出てくるかは、それは自然の営みで、なかなかコントロールできない。しかし、それを支える仕組みは、ある程度政策的な配慮、コミュニティーの空間をどうするのかが、パブリックスペースをどうするかに間接的にかかわってきますし、都市をどうつくるかという文化の問題と、都市の工学的な問題と建築の問題が一緒になってこないといけない部分だろうと思います。
同時に、文化の多様性は、自然と守られたり、出てきたりするものでもあり、それをどうまとめていくかについては、意識的にある程度ビジョンと政策とを持っていないと進まない。世界都市と言うからには、多様性、ダイナミズムを裏返した難しい問題が出てきますから、ビジョンは必要だろうと思います。
都市の「魅力」をつくり上げるもの
イスタンブールの魅力を言い出すと尽きないので、いかにダイナミズムが歴史をつくってきたか、それがどうして今難しくなってきているか、ポジティブ、ネガティブな部分を説明します。都市に魅力がないと人は集まってこない。東京にはすばらしいものがたくさんあることは間違いないと思います。私が本拠にしていた神戸と比べても、東京は、いろいろなタイプの、さまざまな時代の映画がいつでも見られるし、展覧会、展示会といった数は驚くほど多い。魅力のアイテムだけをとっていけば、いろいろあるように思う。東京にいてすごく残念に思うことを、便宜的に3つのレベルに分けてみました。都市の魅力は、その都市にしかないものです。建築、大学、各種のイベント、音楽祭、演劇祭、国際会議、さまざまなパフォーマンス、それは都市にしかないもので、東京については、この条件はかなり分厚いものがある。
都市には、1回訪れた人が、もう1度訪れる、あるいは1回目は観光だったから、2回目は滞在してみようといった別の形で訪問や滞在を促すファクターというのがあると思います。これは、1回目に来たときに必ず生じる手続きがあると思うのですが、その手続きにかかわる環境の整備ということです。例えば、外国から都市に入ると、空港で、街までのアクセス、通関やパスポートコントロールといった手続きをしないといけない。あるいは空港ないし都市で最低限で、しかもコンパクトでわかりやすい情報をどれぐらい提供できるかということ。もっと細かく言えば、銀行での両替がいつもできるか、JRの切符はクレジットカードで買えないとかです。1回そういう目に遭うと、もう嫌になる。同時に、必要な手続きについて条件を整備することは印象を大きく変えていくと思います。
また、衣食住の中で、着るものは旅行中、それほど問題ではないのです。食については十分だが、宿泊については、東京は高い。また、伝統的な日本の家屋に泊まりたいという人がいると、東京ではほとんどないので、ほかの都市で紹介する。しかし、建築は素晴らしかったけれども、あのトイレだけはやめてほしいという声がある。伝統的なのはいいが、既に人のテーストが一様になっているところがあって、そこはそろえたほうがいいのではないかという気がいたします。
さらに、世界都市で、多文化共存は当然前提とするわけですから、その基本的なインフラとして、都市自体がわかりやすいことが必要です。そして、空気がいい、食べ物が安全であるなどは、基本です。東京で安心して水が飲めるか、空気が吸えるかというと、意外と安全とは言えない。携帯電話が普及しているから、国際通話対応の公衆電話はどんどん減っていますし、安心して過ごせるというわけでもない。多文化共存、あるいは多文化の存在を前提とした基本インフラという点でも、私は東京がそれほど強いとは思えない。
都市の魅力という議論になりますと、その都市が持っている、その都市にしかないもの、それは何かというところに話がいきやすいと思いますが、おそらく2番目、3番目のレベルが整ったときに初めて1番目の魅力というのが伝わる、あるいは発揮されると思います。