これは、私が96年に参りましたときに、イスタンブールの10の課題があり、7番目か8番目に、街の範囲を確定すると書いてあった。どこまでかが確定できないぐらいまだ広がっているわけです。
「グローバル都市」でありつづける条件
人口は、異様な増え方です。不法建築も96年段階で約65万棟です。建築から、販売も含めてですが、これは相当な数です。1950年以降、特にひどくなってきたのですが、要するに今までコスモポリタンと言われたものは活動だけではなくて、それぞれのコミュニティーの存在と、都市の空間の使い方がうまくいっていたのが、それがうまくいかなくなっている。
どういうことかというと、ムスリムの人たちが東ヨーロッパからも入り、トルコの東からもどんどん都市に流入してきています。そのときに、いつから始まった生活様式か知らないのですが、余暇にピクニックをよくする。そうすると、大体、ボスフォラス海峡沿いとか、山のちょっと高いところに行って、肉や野菜を焼いたり、歌を歌ったり、ピクニックが余暇の過ごし方として一般的なわけです。階級の高い人たちはあまりやらず、普通の下というぐらいの人たちです。
そういう場所が1930年代に都市化が始まって、50年代から加速し、道路ができて、川に近づけなくなっていく。ボスフォラス海峡沿いとか、小高いところは景色がいいですから、企業がいい土地をとってしまう。保養所やスーポツセンター、ディスコができたりして、ピクニックに行っていたところがなくなってしまう。では、どこでするかといいますと、西洋的な意味で公園と言われていた、ほんとに散策をして楽しんでいたような、ユルデュス宮殿の裏庭にユルデュスパークがあり、そういったところでピクニックをする。そうすると、景色としては若干異様と言うと失礼なんですが、どきっとするような、光景として全然合わない。私が見ていて合わないというより、そこに長年住んでいたイスタンブールっ子にとって非常に違和感がある。彼らが去っていった後にバーベキューの跡がドーンと残っているとか、ごみだらけになっていて、生活感覚として、なかなか許容できるものではない。
96年より少し前ですが、公共の空間、特にユルデュスパーク、ほかの公園、チャムージャという小高い丘などをどう使うかについて大きな議論になったことがあります。要は、公共の空間をみんなが利用できるというよりは、むしろ単に空いているスペースという感覚になっていて、今まで田舎でやってきた生活スタイルをそのまま持ち込んだような人たちが、そこでピクニックをするようになる。
無制限に広がってしまった家々は、大体同じような形をしていて、東のアナトリア方面で生活していたときの家の状態、空間の使い方と全然違います。開発業者がつくる家ですから、同じような形になるのです。結局、コミュニティーが成り立たないわけです。では、どうするかというと、空いたスペースで自分たちの生活様式を示す。田舎から来た人、もともとのイスタンブールっ子、あるいは外国人といった人がそれぞれの生活スタイルを持って、そこを占拠するかという話になってくる。
結局、公共空間が交流のため、あるいは文化を生み出すという積極的な役割を果たせなくて、文化の闘いの場になってくる。生活様式をお互い牽制し合うというか、だれがそこを占拠するかが問題になってくる。
今、ネガティブなところだけ話しましたが、新しい人口流入はいいところもすごくあります。過去10年の間に地方料理がイスタンブールのレストランで増えてきた。音楽も、アラベスクなど新しいタイプが出てきています。しかし、今言ったような都市のコントロールがきかず、ハンドリングする有効な政策がないために、多様性というものが出てきても、お互いにぶつかる方向にいってしまう。都市をどうするかという議論が、新しいものを生み出すダイナミズムをどうやって支えていけるか、そのインフラをどうすればいいかという議論よりは、既成の文化、歴史、生活スタイルを展示するショーケースであるべきなのかという議論に偏ってしまう。
私のようにイスタンブールのファンにとっては、せっかく新しいものがどんどん出てきているのに、いい方向にいっていないように思える。しかも、この衝突は非常に危ないところまで来ていて、文化の争いという形にまで来ている。