岡本 トルコには1996年から7年の1年間しか集中的にはいませんでしたが、その後、繰り返し訪れています。私は去年の4月から東京に職場が変わり、移ってきたばかりで、東京についてよく知りません。ただ、都市を考えるとき、イスタンブールを見ていて、参考になる視点が何かあるかどうかという観点から、報告させていただきます。東京については、最終的にどうしていけばいいのかというところについて、触れるにとどめ、基本的にはイスタンブールを参照意見としてご紹介してみたいと思います。
〔イスタンブールの事例〕
「世界都市」としての性格
まず、イスタンブールは、私は間違いなく世界都市であろうと思います。しかし、都市の専門研究でワールドシティとは何かといった議論があり、その中では、時代によって、どういう条件を備えている都市が世界都市と言われるか、少しずつ変わってきていると思います。定義はあまり意味がないように思いますので、ここでは、時代によって条件は変化するが、観光客、芸術家、企業、資本、国際機関のヘッドオフィスであるとか、情報がそこに引き寄せられてくる場所で、その結果として、政治、経済、文化、各方面において中心的な役割を果たしている場所というのを大枠として世界都市であろうと考えるわけです。
現在、世界都市のランクというようなものをよく見ますと、規模だけは大きいのですが、イスタンブールは落ちているのです。社会的なインフラという点ではかなり問題を持っています。しかし、ローマ、ビザンチン、オスマンの3帝国の帝都として中心的な役割を果たしてきましたし、その歴史が重なるだけではなくて、その都度、建築の様式も重なってきているし、時には影響を受けながら、折衷的な様式もあります。しかも、時代が移るときに、違った人々が入ってくることによって空間の使い方が変わっているものですから、単に建築の様式がたくさんあるというだけではなくて、空間の使い方に折衷したものが随分出てくる。しかも、それが非常に開放的なところがあり、私がイスタンブールにいて非常にすばらしいなと思うところです。
同時に、ボスフォラス海峡(トルコ語でボワーズ)は、「のど」という意味ですが、細いネックになるところです。交通の要所ですから、そこを押さえられると人も交通も物資も動けなくなるところです。そこを挟んで、一方は中国にまで至り、一方は東欧、中欧を経て大西洋にまで至るという、その接点に位置する。これは稀有の立地に違いないわけです。
イスタンブールという名前がトルコ、あるいはオスマン帝国というのを超えて、独特の実体として特別なイメージを喚起する。これが食、建築、芸術、暮らしのありようにおいて、トルコというものを度外視しても、イスタンブールというだけで独特なイメージを喚起してくる。これは、文化的に言いますと、世界都市の非常に枢要な要件の一つであろうと思います。その点で間違いなく世界都市だろうと思うわけです。
イスタンブールを見て思うのは、何か決まったアイテムがそこにあれば世界都市になれるかというと、そういうものではない。もしそうだとしたら、イスタンブールは世界都市であり続けないといけないわけです。しかし、現在のイスタンブールを見ますと、物がある、あるいは条件を備えているだけではだめで、そこをサポートしてくれるほかの要素があるのだろうと考えます。
イスタンブールがどれぐらい条件としてすばらしかったか、魅力があるかということも、簡単にご紹介したい。その後、共和国以降になって、ある意味で非常に地盤沈下し、都市の魅力を支えるほかの条件がかなり厳しいものになってきました。世界都市という文化的なある程度の水準とか魅力を支えるそのほかの要素はいったい何であろうかということを、反面教師的な意味で、イスタンブールの状況を見て、私自身考えているところなので、それを聞いていただきたいと思います。