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そういう町民文化をどうやって維持するかという問題があります。国立劇場をつくったから維持できるというわけにはいかないと思います。東京都で何か考えていただきたい。

 

文化の伝承

 

今までは、歌舞伎なんかは、代々、おまえは市川家の御曹司だから、これをやれという具合に伝承してきました。しかし、そういう家柄で伝承する時代ではなくなるだろうと私は思っております。それには、そういう家柄でない人が、江戸時代の文化を伝承できるにはどうしたらいいかという問題があります。職人芸の伝承にも関連がありまして、宮大工を伝承するのに、前は自分の息子に教えていましたが、今は息子たちのやる気がなくなっております。踊りの文化のために足袋職人に江戸前の職人芸というのがあるわけでして、大量生産の足袋ではなくて、足形をとって足袋をつくったり、あるいは五つこはぜをつくってやるとか、あつらえの足袋をつくる職人芸をどこかで伝承しないといけないと思います。

足袋職人とか下駄職人の芸で、勲何等をもらったという話はあまり聞きません。これは東京都で何かこういうものを、「おまえは偉い」というのをあげるといいのではないかと思っております。江戸前の職人の中には、もちろん工芸として高く評価されている指物師とかいう人達がいると思いますが、足袋とか下駄なんていうのは、あまり考えが及ばない部門の芸術であります。

下駄の職人はこの靴の時代にはいないのではないかと思いますが、今でもいます。板前さんが下駄をはいて仕事をするので、現在でも、江戸前の板前さんのいる程度くらいは下駄をつくっている。その下駄は、あまり滑ってもいかんし仕事のしやすいものをつくるのには結構な値がはるそうです。だから、昔の旧制高校生がはいていた朴歯下駄をつくって貫一お宮の田舎芝居をやりたいときには、下駄をどこに注文してつくれるかというと、江戸前の板前さんの下駄職人がどこかにいるのです。

下駄とか足袋は必ずしも江戸には限りませんが、江戸時代の文化が、元禄から明治にかけて東京で伝承されておりますので、高級な職人がいたようだと思っております。そういう人たちの身についているものは、江戸情緒というもので、粋な男といわれるものであろうかと思っています。江戸前のダンディな男に対しては、「粋」というのと「通」という言葉があります。江戸時代の末期は、「通」と「半可通」という言葉がありまして、「半可通」は最も忌み嫌った。いわゆる「通人ぶる」と言うんです。ちょうど芸のない芸者が、芸がないのにぶっているとか、あるいは学のない学者がえらそうにしているのを、最も忌み嫌ったのは江戸の文化、いわゆる心意気だったように思われます。

 

江戸情緒と路地文化

 

「粋ぶる」とか、「粋がる」という言葉は、粋でないのに粋なような形をするというのがあります。「鯔背」という言葉は、現在の若い人には読めないと思われましたので、「いなせ」というかっこ書きをしました。魚偏の「鯔背」は、江戸時代に日本橋の魚河岸の若い衆が結っていた「鯔背銀杏(いなせいちょう)」という髷に由来する言葉であるという説が有力です。髷の形がボラの幼魚であるイナの形に似ていました。

先日の「世界都市東京フォーラム」でヌール・ヤルマン教授が世界都市としての東京とイスタンブールとの比較の話をされ、東京は路地文化というのが特徴であるという。江戸は城下町で栄えたにもかかわらず、下町の町人がつくった路地というのがあって、その路地は無秩序であるけれども、情緒があります。路地文化は、いなせなこととか、粋なものとかに通ずるものがあったのではないかと思います。その路地のどこかにちょっとした井戸端があって植木鉢が並んでいるような感じです。井戸端会議で花が咲き近隣との豊かな人間関係ができ、落語に出てくる長屋の大家さんがいたようです。このような豊かな人間関係がないと、最近の神戸の大震災のときに、老人夫婦を近隣の若者が助けに行かなかった例が出てくるのです。

それは、豊かな人間関係があれば、助けに行けたはずのものであります。昔から「遠い親戚よりは近くの他人」という話がありますが、最近は、「隣は何をする人ぞ」という感じが東京の山の手から始まって今や下町までつながっていると思います。

 

 

 

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