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菊竹 東京フォーラム最終回です。本日は、平山先生のお話です。

平山先生は、情報通信の日本で最も誇るべき研究室のトップにおられます。平山先生抜きにはITの時代は語れないと感じてお願いをいたしました。

 

平山 最近、ITばやりでありますから、私の専門で言えば、ITに関連した話をするのが本筋だと思いますが、ITは皆さん聞き飽きていると思いますので、きょうは、私の専門外の知識、過去の経験から感じたことをお話しさせていただきます。

 

色町と三業地

 

事務局のほうから、私に期待する手紙がまいりまして、平山先生には、東京文化の創造の可能性で、「江戸文化のように東京文化を創り、世界に発信する」という題と、もう一つは、「高齢化社会を楽しく暮らせる東京文化」という題をいただきました。最初は情報に関連する話をすべきかなと思ったんですが、江戸の話をしようかと思います。

現代の話をすると、年寄りは時代感覚がずれてくるかもしれないので江戸文化をどのくらい保存するかについて話をし、それから、東京文化を新しく創造するという話をします。「創造と保存」というキーワードで思い出しますことは、インドの神様にブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァという創造と保存と破壊の神様が有名であります。初めの頃は創造の神様が一番偉かったのですが、今や保存と破壊の神様のほうが、たくさんお参りされるようになっているという話を聞きます。ある時期になりますと、どうやってうまく古いものを壊すか、それから昔のものを保存するかという問題があろうかと思います。まず最初に、江戸文化の中で、保存したものと壊したいものとがあると思われますので、それを私の主観でお話をします。

江戸文化というと、遊びの文化を思い出します。元禄から文化、文政時代に当たって、町人が築き上げた文化というものがありそうです。それは、歌舞伎や落語に出てくる色町、色町は昭和33年になくなってしまったので、色町の文化というのは事実上はなくなったのではないかと思いますが、私が若いころにはまだ存在しておりました。

もう一つは、三業地です。三業地は、今の若い人たちはよく知らないので、何が三業か。料理屋と待合と芸者屋が三業です。この料理屋と待合が一緒になって1つの建物でやっている店も何軒かあるわけですけれども、その三業を取り仕切っているのが見番です。

江戸時代の町人は自分の金で遊んだのですけれども、昭和40年から50年にかけて、いわゆる1970年代の日本の高度成長期は、会社のお金で遊ぶことによって三業地が栄えた。日本の税法上も関係があるので個人のお金で遊ぶことはしないようになった。

しかし、人の接待で遊んだのでは本当の遊びにはなりませんで、遊ぶためには自分のお金で遊ばなければなりません。私はたまたま運よく、私の書いた本が売れまして、昭和50年前後にちょっと遊ぶことができたのです。しかし大尽遊びはできませんで一人や二人で遊ぶということはできたのです。一見(いちげん)さんというのはだめですから、最初は、通信関係の大企業の人たちがそういうところに連れて行ってくれたので、一見さんではなくなって、次からは自分のお金で遊ぶことができました。

そういう遊びというのは、お金とか時間とかいうものを気にすると「遊び」になりませんのですが、私の遊びは中途半端で、卒業できなくて中退であります。遊べるためには、ある程度努力をしていないと遊べなかった。お座敷遊びでは、小唄とか踊りとかに対して理解をしていないと遊びになりませんでした。

ところが、今の若い人達の遊びは、すぐ手軽に遊んでいるような感じがいたします。ゴルフの遊びにしても、少なくとも練習場に100回ぐらいは行かないと人前に出られないだろうと思っております。遊びにはある程度の努力をして初めて遊ぶ能力を持ったと思います。これは東京文化とか、江戸文化とかに限りませんけれども、そういうことがあまり遊んだことのない方に理解をされてないようです。三業地の遊びの文化が、落語の世界と歌舞伎の世界だけに残るのでは残念です。歌麿の浮世絵もやはり色町から出たものでありましょうし、写楽の絵も歌舞伎から出たものでありましょうから、そういう江戸文化をささえた技術、芸術は、いわゆる侍文化のお能とはちょっと違うと思います。

 

 

 

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