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今度は多摩の28の大学が連携して単位互換ということを進めるという宣言をしました。僕はそれを前から言っていたんですが、結局、東京芸大、東京工大、一橋と東京医科歯科大学を結ぶ5大学連合、外語も含めてということに今進んでいますが、見事に東京芸大からけられました。

僕はそうじゃなくて、農工大が大事だと。農工大と電通と一橋が組むという、これがこれから先のバイオの時代に絶対必要だということを言い続けているんですが、低位偏差値の大学と組んではだめなんだというばかなことを言う人がいて、結局、都立大がリーダーになって農工大、電通大までも含めた多摩連合ができ上がった。一橋はおそらく外れていくでしょう。そうするとバイオがないんです。やっぱり何といったって農工大だと思います。それから東京農大といったところと組まないとやっていけないはずです。

竹内さんがあえて今の時期にワーストケースをお出しになった。この写真を見ていただくと、とにかく区部を中心とする都心部はだめだという結論が出ているわけです。

活断層を見ると、特に、房総沖で直下型地震が起こった場合には危ない。ただ注目しているのは、活断層がはっきりはしていないけれども、どうもなさそうだというのが多摩丘陵なんです。多摩川のところに活断層が走っていて、そこが裂けることがあっても、多摩の丘陵のほうは何とか生き残るだろう。

地震が起こった、水浸しになったとき、平野部というものを無視しちゃって、丘陵部で生き残るということを考える。そのとき、水が問題になる。

 

湾全体を淡水湖に変える

 

水がどうなるだろうかと見ると、今のところ、ダムが決壊しないと仮定すれば、小河内ダムと津久井湖と相模湖、この3つがここの水源になります。それから決壊しちゃったとしてもその標高で、小河内ですと500mもあります。それから津久井湖で130m、相模湖だと160mという標高が確保できていますから、ここから水がとれる。

中国の大運河の絵です。中国の大運河というのは北京から杭州までずっと通っている。途中、天津の南の方から黄河を越えて、黄河は横断する船で進むわけですが、それから南へ入って、途中に高い丘が出てくる。それを横切って南へ伸びていく。どうしてそういうことができるんだという話なんです。

もう1つの図で、真ん中が高い丘みたいになっています。あれは地面の標高がずっと上へ上がって、それから下へ下がっていって、一番右側の端っこが杭州で、ほとんど海面と同じ標準ですが、一番高いところにもちゃんと運河が走っている。そこがつぼだと思うんです。

北京から運河が始まるというのも、北京の北のほうに円明園があって湖がちゃんとできています。あの湖が決め手なわけです。というのは、その湖に水を豊かに供給する泉がありまして、その泉は山の中腹のところからこんこんとわいている。これがたまっているわけです。それで北京が少し低いから北京全体に水が供給できて、そこが運河になるわけです。それからずっと来て黄河まで無事たどり着く。

黄河からあの辺はまだ水が豊かだから、少し高いところからも川が出てきている。あの高いところでなぜできるかというと、一番高いところに実はどういうわけか雨がよく降ってやっぱり泉がわいているんです。その泉の水を引いて、南北にニ手に分けて、それで高いところの運河の水源として機能し続けてきた。

あとはロックポンドの方式で、ロックをつくっては水をため、そのロックを開いては水を下げるということを長年にわたってやってきてそれで運河が動いてきた。それは南へも同じように行った。

ですから、至るところで小さな水源をうまく引いて水だまりをつくり、貯水池をつくって、その貯水池の水を利用しながら、だんだん船が動いていくという形で南北への水運が成り立ってきたというのが中国大運河の歴史です。

 

古川 この運河の歴史はどのくらいなんですか。

 

中川 隋の煬帝のときに確立していますから、もう1000年以上、1300年ほどです。秦の始皇帝のときは平地部だけをつなぐ運河、西のほうからずっと淮河へ来てというように平野の川を利用してつないでいたんです。元の大運河は隋の煬帝が基本をつくったんです。

 

 

 

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