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しかし、平泉は経済の持続力が欠如したし、権力構造が4代にして崩壊した。これに対して京都は天子様がいて、常に強者が入ってきては出ていくわけですので、転換能力に優れていたこともあって、今日なお全国で人口スケールが第6位の地位を占めているということです。

そのような栄枯盛衰は、そのときどきの日本の経済社会を支えるような中枢管理機能なり、国家権力機構を持っていたためではなかろうかというように見ることができるわけです。それならば、人口は長期的にどうなっていたか。

日本の総人口は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川方が勝利を収めた年には日本列島に1,200万人の人が住んでいた。このときには、京阪神が約250万人(50.8%)、東京が約120万人(25.2%)、中京が約120万人(24.0%)ということだった。

しかし、1880年(明治13年)になりますと、大体3分の1、3分の1、3分の1という割合に3大都市圏の人口配置が変わってきました。しかし、現在は3大都市圏人口を100として東京が3,300万人(54.1%)ということで、395年前の関ヶ原の戦い当時の京阪神の人口シェア50.8%を上回るにいたっています。

それに対して、京阪神は27.9%になったわけですから、ちょうど1600年当時の東京が25.2%のシェアと大体同じになってきた。そして2010年には、さらに東京の人口シェアが拡大していくと見られています。

こういう長期的な人口増減パターンを見てますと、1600年から2000年までの間の400年間の増加倍率(表1参照)をみると、東京は26.5倍、中京が10.7倍、京阪神が6.7倍。県別では、東京都32.7倍と断トツに人口が増えています。これは、1つには、権力構造が京阪神から東京に移ったこと、国会とか、中央省庁、あるいは裁判所、そういう中枢管理機能が東京に集中したということが第1点です。

第2点は、政治も経済も行政もすべて東京に集中したことに起因している。それにしても東京への社会資本整備のための公共投資が余りにも少な過ぎる。

県単位でベスト5はどう変わったか〔表1、2。※表は63頁〜69頁にまとめてあります〕。1600年当時は、大阪、兵庫、京都という3府県を合計すると、251万人で、全国の20.5%を占めていた。そして、第4位が愛知、第5位が新潟という順位で、東京は欄外の9番目でした。そして神奈川県は27番目です。また、埼玉が15番目。こういうことで、今の東京のエリアは人口があまり住んでいなかったわけです。

ところが明治維新期になりますと、京阪神の各府県の中で京都が大幅に脱落し、20番目に落ちました。明治初期では、日本の経済を支えていたものはお米(農業)でした。したがって、新潟、兵庫、愛知が農業生産力を投影して上位にランクされ、新潟が首位に立つ。もちろん、これは経済力だけではなく、真宗の教えによって間引きをやらなかったことも預かって大きい要因でもありました。

1945年に外地から引き揚げる人々が帰ってくると、大都市人口はB29の戦略爆撃機による爆撃を避けるための疎開で、北海道が脚光を浴びて、首位に立ちますが、東京は1880年の12番目から、1945年には2番目に、さらに90年以降は常に1番目になりました。それに対して、大阪は豊臣政権の喪失で地盤沈下して、さらに天子様が東京へ行ったために京都は地盤沈下をたどり、京阪神の人口シェアは大きく後退を余儀された。

 

県別人口スケール順位の変遷

 

さて、では都市別に見たら人口スケール順位はどのような変遷をたどったか(表1〜3)。都市人口スケール順位の長期的変遷は1886年(明治19年)から2025年までの上位15都市について人口スケール順位の変遷を表したものです。実際は上位50都市について作成したものですが、ここでは、上位15都市に限定して変遷をみると、明治19年から西暦2000年、そして2050年まで一気通貫でとにもかくにも首位を維持しているのは、東京都23区ただ1つであることが最大の特徴点です。

2番目は、横浜が東京の郊外都市として躍り出ていること。3番目の大阪は地盤沈下し続けていること。

 

 

 

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