日本財団 図書館


官庁の硬直性

 

阪神大震災の復興計画でも、若い役人まで固い思考に蝕まれているのが分かりました。被災した低所得層の希望は、洗面所もトイレも共同でいい、風呂は公衆浴場で充分、だけど安全な住まいをというものでした。ところが神戸市がつくる復興住宅である以上は、戸別に独立したバス、トイレ、台所がないと面子に関わる。そんなことは被災住民側は望んでいません。住民の希望を入れて、共同で生活費の安い安全な新しい住まいを創造するのが行政の義務です。神戸の失敗を繰り返さないように、住民志向の安全な集合住宅建設にどこかの区が手を上げたらどうでしょうか。必ず他の区が真似をします。全国にも新しい街区計画として広まるでしょう。そんな土地がないと言う反対論者に一言。JRの駅の上はどこでも空いている。そこに高層で集合住宅をつくって、1〜3階は商店街にして街の賑わいの中心に据える。それより上の階は年を取った人の住まいにする。高齢者が買い物に出かけるにもエレベーターで下りて来ればいい。どこかに遊びに出るには、今の高齢者向き住居では、バスを何回か乗り継いで、私鉄かJRに辿り着くだけで大変です。老親を持つ子供の方も楽になります。親の様子を見に行きたいけれど、都心から何時間かの駅から、さらにバスに乗り継ぐのでは億劫になるが、環状線の駅の上にあるビルの20何階かに住んでいるならば、ちょっと気軽に逢いに行ける。

 

大学を都心に引き戻そう

 

もうひとつ重大な疑問を呈します。何故大学が都心からなくなったのか。大学というのは非常に重大な町の顔です。大学は町の消費階層の代表でもあります。大学生は要するに遊び人ですから、彼らが遊ぶことで何かが創造されている。そういう都市要素を市街に追い出してしまって良いことがあるはずがない。第一、学生の方もちっとも嬉しくない。東京の大学に入ったつもりが、多摩丘陵の果てで暮らすのでは面白くない。だから大学は都内に復帰させるべきです。都心の容積率を改めて高層ビルを建設し、その空間に大学をつくる。大学生も大学も活気づきます。

都心にいないと文化がないと思うのは日本人の業のようです。外国人の留学生たちは、先端科学技術大学が建つような田舎で嬉々として仕事をしています。しかし日本人ではちょっと無理です。日本人はいかがわしい盛り場が近くにないとどうも元気が出ない。筑波大学設置の初期、親しい教授に尋ねたらパチンコ屋は一軒できたけれど、学生が群がっているから教授が割り込むのも沽券にかかわると言う。大学を都心に戻す計画のためには、用地は幾らでもあります。まず小中学校があるし、未来を考えると弱小大学が破綻する。そういう場所を狙って大学を計画的に配置すれば良い。もちろん近くには大学の寄宿舎をこしらえる。ついでに灯の消えた町にニューオールドが住む酒落た住宅にも場所を提供する。教官や退官した教官を住まわせ、サロンを解放して老害のない知的創造空間を提供する。私も住みたいから密かに名案と考えています。

 

新しい運河掘削

 

思いつきですが、アムステルダムの真似をして運河を100年とは言わないが50年計画で掘削する。これは物真似ではなく、中小河川復旧をスマートに実施する案です。埼玉大学に行きますと、近辺の土地の高さは海抜62mで、荒川の流れは極めて緩やかです。フランスのミディ運河はビスケー湾と地中海を結んで、今でも海産物の流通に使われ、ツールーズの町では運河の河畔が憩いの場所になっています。スウェーデンのヨテボリ運河もウプサラには運上所が残るなど、町のシンボルになる情緒を醸し出しています。この2つは私も訪ねた運河ですが、イギリスにもドイツにも産業革命後の重量物資の大量輸送のために作られた運河が未だに生きています。関東平野は平坦ですから62mならロックゲートは要らないかも知れません。多少のロックゲートを作る前提にすると、うまくいけば霞ヶ浦から利根川を結び、館林か熊谷あたりを回りロックで多摩丘陵を越えると、相模川に出る外周運河になります。中間の運河は印旛沼か手賀沼あたりから西に進んで、大宮、浦和あたりから狭山丘陵をこえて多摩川に結びます。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION