日本財団 図書館


全員が政府委員をやめたら解決します。政府委員は法律で幾つか以上兼務できない、とありますが、特段の事情がある場合にはこの限りにあらずという一項を加えてある。そこで有名教授はやたらと政府委員をやっている。結局、わが国では非主流派の珍奇なアイデアは、貴重な資源なのにゴミ箱行き。変わり者の意見は冗談扱いで、まともに俎上に上げられない。ボスたちが勝手にふるまって既成路線以外を排除する。これをやめさえすればどこの大学もよくなります。キャリー・マリスなど、研究仲間は早くからノーベル賞を受賞すると信じていたのに、上司の主任教授、学科長、学長などは「あんな奴はノーベル賞の柄でない」なんて言っていたそうですから、老害は日本だけではないようです。ノーベル賞を貰ってからも以前と変わらず勝手なことを言う。「抗ガン剤なんて絶対にやらない」と言っています。抗ガン剤が効くガンがあることはわかっている。しかしどうして見分けるか。やってみなければわからない。やってみてもほとんどは無効。その代償として生の最後に途方もない苦しみを味わされるのはお断り。生を求めてもがく人を止める気はないが、自分は抗ガン剤は拒否すると公言しています。こういう人間が市民権をもてる環境は、アメリカにはあっても日本にはありません。これが尊敬される国になる前にある大きな制約です。

 

先見性のある人材

 

東北大学の例を挙げたように、日本の為政者にも尊敬すべき人間がいます。先見性では後藤新平を真っ先に挙げたいと思います。後藤新平の異才ぶりは震災復興院の青写真に歴然と残っています。それを徹底的に邪魔して絶好の東京近代化の機会をダメにしたのは、明治憲法制定に関与した伊東巳代治です。議会多数派の政友会は、農村におもねる今の政権自民党と同じ体質で、おまけに東京府内に土地を所有する有力者が多く、後藤の案には絶対反対だった。良識派と目される渋沢栄一も実力者の高橋是清も、都市計画の何たるやに無知で味方につかなかった。その無定見なることは医療界のボスが病院建築や運営の知識がないのと同じです。このような逆風にもかかわらず、後藤新平の奮闘で昭和通り、靖国通りなどの幹線道路が今日に残っています。

東京の都市改造は後藤新平の意志を継いだ官僚に引き継がれ、昭和の初期には初めて環状道路が計画され、東京駅を中心に半径4マイルに5本が配置され、さらに半径4〜10マイルの街区に3本(環状6・8号線)が設定された。これを実現する絶好の機会は大空襲被災からの復興期にもあったのですが、時の都知事の安井誠一郎という人はまったく展望も見識もなく、実行したのは運河の埋め立てなど愚策ばかりで負の遺産を作りました。昭和通りなど昔は中央分離帯は緑があったそうですが、道路行政がないままで交通渋滞のしわ寄せをもろに受けてしまった。それでも今日、交通の大動脈として生きています。それから、茗荷谷の近くに環状3号線の生き残りが500mあります。知る人ぞ知る桜の名所ですが、あれが完成していたらすばらしい都市が生まれたはずです。

後藤新平の弟子たちが全国の進んだ都市の設計を手がけました。1人は大阪市長の関一で御堂筋を作った人です。昭和初頭には、「飛行場の滑走路をつくるつもりか」と言われたと伝えられていますが、今は余りの交通渋滞で一方通行になっている。それから名古屋市と広島市もそうで、戦後いち早く近代都市の基礎計画を打ち出し、幅員100mの道路を持っています。それが後藤新平の系譜につながっているから偉いものです。

 

道楽と文化の蓄積

 

せっかく一流国になったのだから、できる人は道楽をしましょう。江戸時代の道楽というのは、ほんとうに商人でも何でも財をなしたら、その後やることは道楽なのです。だから、伊能忠敬なんて養子先の家業を興して、金はたんまりある。それから日本の測量を始める。そういう道楽というのはとても日本的とは思えない。だけど日本の中にそう傑物がいたことを明治維新ですっかり忘れてしまった。

そこで道楽の勧めであります。上流階級あるいは成功者は必ず道楽をする義務がある。私も生涯の大半を大学で過ごしましたが、考えるとこんないい商売はありません。研究というと世間体はいいが、本質は全て物好きの道楽ですからありがたいポストです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION