そういうのをみんな集めてしまえばいいじゃないかということです。それの使い方がホンダさんのアシモとソニーのつくってるアイボのものとは全然考え方が違うし、当然、バンダイさんではまた違う。
牧野 そうです。私は「我田引水」で、マンガキャラの延長だと今は思っているわけです。そこに、日本を育ててきたベンチャー企業の歴史でも、ソニーのトランジスタラジオとか、小型自動車のなかにいろんなものを全部積み込んで、個人の部屋をつくってしまう、小部屋をつくってしまうというような、―言ってみれば「鍋」とおっしゃいましたけれども、「幕の内弁当」のように集約させていく。盆栽のなかに広大な宇宙を観る。―そういうようなことに対して長けているというか、特徴があるという考え方が、連続フォーラムの中で度々顔を出してきました。きょう香山さんからも、一面で同意を受けたと考えているのですが―。
どうでしょうか、そのほかにまだご意見、お話になる方はいらっしゃいませんでしょうか。
本間 メトロポリスの本間と申します。昔、少年雑誌では、通常小説が掲載されていて、絵物語みたいなものやマンガがあったんです。少年雑誌の歴史から見ると、当時マンガはあくまでも脇役でしかなかった。それが徐々に勢力を拡大していって、むしろすべてを駆逐して少年雑誌はマンガ雑誌に変わってしまった。
昔はいろいろなところからマンガの方に才能が流入していました。その後はテレビとマンガのタイアップ。マンガをテレビ化、アニメ化することによってヒットしたりとか、逆のパターンもやっていたんですが、そういうメディアミックスというのはかなり昔から行われて、そういう変化をして人気が出たりとかしていたんです。最初は「赤銅鈴之助」をラジオ化しよう、テレビ化しよう、映画化しようという形で、いろいろやっていたものが、最近は、それも当たり前になってきて、新しいマンガの見せ方が最近少なくなってきてしまって、新しい見せ方といしてゲームのほうに才能が流れていったという感じがします。