一方で、例えば「きん肉マン二世」というのが「プレイボーイ」で連載されていて、単行本が初刷りで60万だと聞いています。そのまま読者も「プレイボーイ」のほうに移って年齢があがっているんです。「プレイボーイ」の部数よりもどうも多いらしいので、単行本しか買っていない層すらあるのではないかという気もしますが。今度は「キャプテン翼」もまた「ジャンプ」から「ヤングジャンプ」か何かに舞台を変えてやる。そうすると、先ほどおっしゃられたようなしっかりしたマンガを描ける人たちも再度、今度は毎回がクライマックスではないですけれども、いま流行りのスタイルになっていって、いずれ日本の主要なマンガというのはそのスタイルしかなくなるかもしれません。
ですから、本宮さんなどはディク・フランシスみたいに年1回の書き下ろしだけでもいいのかもしれません。その代わり、それからあがってくる収入とその権利すべてを、先ほど野崎さんがおっしゃったようにファンド化してしまうというやり方はある。要はその器を変えていくことも併せて用意しないと、みんなすごく似通った形になって衰退していくのでしょう。やはり、異質なものがないと文化というのは衰退していきますよね。
その意味では、マンガは若干危険なところに入っていて、「ポケモン」のようにプロダクトミックス、カードをたくさん売ったりとか、そういう展開もまた同質化しくのかもしれない。その意味ではすごくいま、本当に発展していくのか、それとも黄金期だったねということで総括されていくのか、ある種の岐路にきているような気がします。
牧野 マンガ論をする時に、自分の頭のなかで印刷媒体だけをマンガだと“規定”している人もいます。先ほどのお話だと、マンガフェアができたときには、ゲームもCGもみんな入れようじゃないかと。ロボットも入れようというお話がありました。私もこの点に強く共鳴しているわけです。キャラクターの帰結として、例えばディズニーもディズニーランドをつくったのは、ようするに、平面から飛び出そうという試行。ぬいぐるみでやったり、コンピュータを使って鑑賞用のロボットをつくった。