発表する場の。例えば、古いマンガというか、例えば貸本マンガなんかですと、白土三平の「忍者武芸帖」はどちらかというと大河マンガに近いのではないか。そのあとの「カムイ伝」も完全に大河マンガですよね。全体の流れがすでに作家は頭のなかに構想としてつくってあって描いてあるのではないかとみられる作品で。例えば「鉄人28号」などでも、ある程度までは構想があったんだと思います。そのあとがバトル物になってしまうというか、これは編集者から、せっかく人気の出たキャラクターだからもっと続けろと言われたときに、パターン化してしまうわけです。新しい敵が出たらやっつける。また次の敵が出てきたらやっつける。こちらもリニューアルしていくみたいな部分がありますよね。
それから、例えば探偵マンガといいますか、コナンだとか金田一少年が最近流行っています。あれなども、一つの事件の解決をつけてまた次の事件ということで、週刊誌という発表の場と単行本の世界との違いが現れた例ではないでしょうか。例えば手塚さんも「ジャングル大帝」あたりでは完全に本当の大河マンガに近いですよね。途中で敵がいくつも出てきてということではないわけで、成長していく過程を追ってますよね。
そんなことで、足し込んでいく作り方については歴史はまだ浅くて、その前はそうでないものが結構あったと思うのですが、その辺はどうでしょうか。
香山 それはそのとおりだと思います。水は方円に従うという言葉がありますが、多くのマンガ家が育ってきてはているものの、彼らは「少年ジャンプ」とか週刊誌から排出されてきている。もうそういうストーリー展開が普通になっているんです。ですから、80年代それを見て育った漫画家志望の人たちのマンガというのは、もうそのスタイルでしか描けないような感じになっているので、それは疲れますよね。出し尽くされて。自分の頭のなかにある形ではないから。だから代表作一作のまま消えていく例もかなり多いと思います。何年現役で漫画家をやれるんでしょうか。