力が強いものと弱いものの対比。そればかりです。力の強いものが追いかけると、弱いものは逃げ回る。最後にネズミは小さいから逃げ道があって、追っかけてきた猫は大きくて小さい穴に入れないとか、そんなことばかりやっています。そういう作品ばかり見せられると、私はアメリカ人が力の信奉者のように思えてなりません。
ところが、日本の作品にはマンガでもアニメでも人の役に立つとか、最後は仲直りするとか、あるいは潔く負けを認めてお互いに仲直りするとか、そういうのが多いんです。
やはり世界を動かしていく根本精神を表現するのは、理屈よりもアニメとかマンガの方がいいのであって、日本は良い内容を持っているのですからそれをもっとやるように努力すべきです。高知県からもどんどん情報発信をしてくださればいいなと思っているわけです。
牧野 やなせさんの作品「アンパンマン」は、スーパーマンですが強いばかりじゃないんです。やなせさんの基本的な姿勢、あの中に書き込んであることは、いいことを―『正義を行えば本人は必ず傷つく』つまり飢えた人を救いに言って自分を食べさせるんです。あんパンの頭を食べさせるから、絵の上で、どんどん欠けてゆく。そうするとスーパーマンでありながら傷ついて飛べなくなるんですね。森のパン工場に行って、またおじいさんに再生してもらう。同じスーパーマンでも全く基本的な設定が違うということがあります。―ですから、日本のスーパーマンマンガの主人公はただ強いだけでない。アトムもロボットの人権について悩んだりするんですね。そういうふうにただ、ただ表面的なおもしろおかしさを狙うだけでは読者が満足しない。物語設定にかなり深いところがあるんです。
さっき知事が『磁場』とおっしゃいましたね、そういったものが理屈でなくここ高知の人たちに影響を与えているとしたら私が1番、「あれがそうかな!」という感じたのが、実は『よさこいソーラン』なんです。あれはただ音響が強大でワーッと派手な演出だ、というだけではなく、踊っている若者たちのエネルギー、自分たちで振りつけをし、衣装を考え、音楽も自分たちで決めて踊っていく。