こういう力になった根元、基盤は何だったかと考えてみますと、それだけの教育的、あるいは学問的な伝統があったんじゃないかと思います。これは郷土史家も書いていますが、高知の学問、教育というのは、中世にさかのぼりますが、13、4世紀でございますか、義堂周信とか絶海中津とかいう高名な禅僧が出たんです。これはたまたま私の田舎の葉山村のあたりから出た人です。これで京都に行っても大変な高僧になったわけですが、こういう人たちが京都から漢文学を導入してきたわけです。漢文学を普及させた。その漢文学がだんだんと時代を経て発展して朱子学とか、幕末には陽明学とか、こういう学問に連なり、高知ではそれを称して「南学」といっておった。南村梅軒とか谷秦山という名前を聞かれたことがあるかと思いますが、こういう人たちが提唱した学問でございます。この学問の中で何が大事かというと、昔の漢文学というのは儒教でございますので、儒教は昔は解釈学、考古学、解釈学だったんです。言葉をこまごまと解釈して、それでよしとしていたのが、いつの間にか朱子学とか、陽明学とかが入ってきますと、これらの学問は大義名分をうんと大事にする。
日下 龍馬学園ではそんな難しいことを教えておるのですか(笑)。
佐竹 いや、たまたま。結論から言いますとそういうことじゃない。朱子学などは、天下国家というものをうんと勉強する学問なんです。そういうものが武士や自由民権運動を支えたとこういうことです。そういう一つのものが流れていく、それが漫画の思想にも私はつながっているんじゃないかと思います。
牧野 今の若者にもそういう気風が受け継がれておりますか。
佐竹 それはわかりません(笑)。恐らく間がうんと離れておりますから、戦後の教育では相当断絶しているのではないかと感じがします。これは日本だけではないのじゃないでしょうか。先ほど来お話が出ているように、エリート的な目標を持ってやるのが一番いいという価値観があったからですが、これが崩れてくればまた違ってくるのじゃないでしょうかね。