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強盗したとかものをとったとか自然犯の犯人じゃなくて、政権争いをして負けた方が流される。

これは土佐の歴史をひもといてみますと、7世紀半ぐらいですか、672年、壬申の乱というのがあって、皆さん勉強したかもしれませんが、昔、天智天皇とか、天武天皇とか名前が出てきたことを覚えておられるでしょうその天智天皇は負けた方ですが、負けてそのときの大臣が蘇我アカエという。この人が790年ごろに島流しになっています。これは土佐の歴史にも載っています。それ以来、中世が終わるまで、室町時代の終わりまでに何と60人ぐらいの罪人が流されてきたそうでございます。そういう人たちは権力をもともと持っていた人、教養のある人です。まかり間違えば国を支配した人ですから、そういう人たちが流されてきた。教育や文化を普及させたという役目を果たしているんですが、流されてきた人は、とにかく長い間流した方に対して恨みを持っている。それから反抗の精神、抵抗の精神を持っているわけです。

もう一つ皆さんご存知だと思いますが、江戸時代二百六十数年というのは、まさに土佐の山内一豊と一緒にきた人、いってみれば進駐軍以外の人たち、つまり長宗我部の支配下にあった武士とか、農民とか、商人とかいう人たちは、これはみんな山内家の非常に厳しい差別政策に対してものすごく反抗していたわけです。ニ百六十数年ずっと反抗してきた。

そういう沸々とした力が、明治維新の人材を生んだ原動力になった。その後の明治初年から15、6年まで続いた自由民権運動というのも、その延長線にあるだろうと思います。他の藩よりも山内家は厳しい差別政策をしたわけです。ですからご承知のとおり、維新を起こした人たちは下級武士だった。山内家の連れて来た進駐軍は上士といっていた。そういう一連の流れがあるわけでございます。

それから明治で途切れているようでございますが、それまでの土佐の風土というのは非常に激しい性格だと思います。右にも結構振れているし、左にも振れている。戦前は偉い軍人も出たかと思うと社会主義者、戦後は共産主義者まで出ているし、現在でも共産党が非常に強い地盤である。こういう歴史的な流れがございます。

 

 

 

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