それ以来、韓国ではアニメーションを国の戦略作品といいますか、戦略部門として国が積極的に介入することになりました。その始めの行動として、1995年、韓国の政府が指導した第1回ソウル国際マンガ・アニメーションフェスティバルが開かれました。このフェスティバルというのは、作品を展示したり、見本を提示する、それに伴って情報交換もできる、そうことに主眼を置いたフェスティバルでありました。その結果、2週間の期間に30万人が入場するような結果を生み出しました。
それ以来、このソウル国際マンガ・アニメーションフェスティバルは毎年開かれていたんですが、1997年、アジアの金融大恐慌に韓国も巻き込まれ、経済の破壊によってビエンナーレが2年に1回開かれることになりました。
1996年からは、国がアニメーションを輸出戦略産業として指定して、質的に支援をしてくれました。例えば、アニメーション産業団地をつくりました。その団地という空間の中には、高い機材を買うことができない小さな零細企業でも入ることができ、作業もさせてもらえます。そのほかに、税金の特別なシステムも取り入れたりして、本格的に産業として国が支援をすることになりました。
更に韓国におけるアニメーション産業に対する支援は、国だけではなくて、自治団体など地方でも積極的に取り入れて支援をすることになりました。例えばソウル市の場合は、ソウルアニメーションセンターというのを開館しまして、ベンチャー企業に支援をするとか、学生さんたちにいろんな協力を行うとか、いろんな公共機材を提供するなど、積極的な動きがあります。
ソウルよりもちょっと北のほうですが、チュンチャンという町がありまして、そこではチュンチャン市をマンガ都市と宣言しまして、毎年、チュンチャンマンガフェスティバルを行っています。
その他に、ソウルよりちょっと南にあるプーチャン市では、世界で唯一の大学生のための大学生マンガフェスティバルを開催しまして、ここに書いてありますが、PISAF(プーチャン・インターナショナル・スチューデント・アニメーション・フェスティバル)という企画をしまして、今年初めて開かれましたが、今後続く予定です。