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韓国のアニメーション業界では1980年代、90年代に入って賃金があがることになり、日本やアメリカの注文はもっと安い賃金を狙ってフィリピンやベトナムなどに流れてしまいました。韓国ではその後アニメーション制作量がだいぶ減るようになりました。

韓国において本格的なアニメーション制作が始まったといわれるのは1988年です。1988年というのは韓国でソウルオリンピックが開かれた年ですが、そのオリンピックの開催をきっかけとして、韓国の子供たちに民族的な自負心を植え付けるということと、もう一つは、日本のアニメーションから抜け出すということを試した積極的な企画が行われて、それで放送局のアニメーションというのが本格的につくられるようになりました。それが韓国において純粋な国産アニメーション制作ということになると思います。

このような国レベルでの意図もありまして、1988年以来、韓国は世界で少ないと思いますが、自国のアニメーションが制作できるような国になりました。1988年以来、韓国の国営放送局(KBS)が積極的に子供用のアニメーションシリーズなどをずっとつくっています。こういうことにより文化面では定着しましたが、産業まではつながっておりませんでした。

韓国のアニメーションが産業として育ちはじめたのは1990年代に入って95年以降です。韓国で輸出する映像の95%がアニメーションになりました。これにより、韓国において他の産業の輸出よりもアニメーションがものすごく付加価値のある分野であるということを、韓国のなかでも認識されるようになりました。

韓国でアニメーションに対するイメージが根本的に変わるようになったきっかけというのは1995年からです。1995年というのは、ディズニーがつくった「ライオンキング」やスピルバーグ監督がつくった「ジュラシックパーク」という映画がつくられて、韓国でもすごく大きなヒットとなった年です。そうした作品に触れることにより、一つの映画作品が、韓国の現代自動車が自動車を百万台作って輸出するよりも利益があるということを知って、ものすごいショックを受けたのです。その影響は本当にすごくて、国の施策までもが変わるようなことになりました。

 

 

 

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