例えば、先ほども申し上げましたが、アメリカのハリウッド映画で「インデペンディエントデー」というのがありまして、一番クライマックスになると大統領が「私も空の男だ」と、いきなり空軍のスーツを着て出てくるわけです。それまでそんな伏線どこにもなかったのにです。劇場でこけてしまったんですが、そういったものをつくり続けていって、ある意味では観客を愚衆化していってそれで先があるのかと。つまり、あまり強い単純な刺激だけを与え続けて、客がそれで確実にマーケットがずっと右肩上がりでいくかというと、いかないんです。もっと感性に訴えるものであるとか、見た後に感動する、いい意味で広い意味で面白いものでないといけなのではないかと、僕は思うんです。
そういう視点がいわゆる産業的なことだけを言うとなくなってしまう。例えば日本でLDボックスというのがあります。いまDVDに移りつつありますけれども、オタク的にはあれを限定版とかボックスで買うんです。あれがバラで売られると買わないわけです。結局、所有したいという欲望があるわけです。ものすごく安くなっていっぱいつくれば売れるかというと、そうものではない。いま限定といいつつ、初めから2万、3万つくって、はい限定ですと売ったりする商売が結構いま流行っていますが、そういうことというのはそのうち飽きられるし、ばれてしまいます。そういうところでの目先の拡大ということだけではなくて、長い目で見てこのアニメーションなりマンガなりを育てていこうという意識がないと、結局、種をまいて全部刈り取ってしまって、それこそ先ほどおっしゃったかつての某出版社による映画ではないけれども、全部刈り取ってしまって、お客さんはもうだまされないぞという話になってしまうのではないかと、僕は思うんですが。
牧野 田中さん、先ほど「私はオタクじゃなくて映像というところから入った」、「特にアニメが好きだったわけではない」とおっしゃったんですが、田中さんにとってのアニメ、マンガの範疇というものはどこまでですか。例えば、私の場合はディズニーランドまではいってしまっていますが、田中さんの想定されるマンガ・アニメのフィールドというのはどのあたりまでなんでしょうか。