さっき、日下さんの方から、「神さまにもジェラシー」があって写生はできなかったというお話がありました。確かにそうです。ですから、いわゆる抽象文様しか描けなかった時期があったわけです。利休も織部にもやはり、当時の権力者からの干渉があった。
この前、ここに座ってお話をされた方に大村さんという、工学博士にしてCG制作者がいらっしゃいました。彼は、SOHO的発想―自分の部屋で物を創ること、これが大切だとおっしゃいました。学生たちに月給5万円だけ保証し、とにかく新しい作品を自分たち自前のアトリエで創るのだと。なぜそんなことをするかといったら、必ず干渉されるからだというふうなことをおっしゃるわけです。「演出権」を失わないために自分たちは自前で創るのであると。そういうSOHOの中からこそ、新しいものが生まれるのだという問題提起をなされました。
これから創作の場をつくり、需要を掘り起こして新しい環境をつくり、産業というところまで高めていくというプロセスの中で、仕掛人としてはどのようなスタンスをとるのが理想的だと思われるでしょうか。
梶原 まず、宗教が影響したというのはなるほどと思います。宗教の場合は、絵物語ができても、しょせんは宗教画みたいなものしか許されないような気がするのです。日本の場合は、一神教どころか八百万の神です。最近、何もキリスト教と関係ないのに、結婚式を教会でやる人が増えてきました。死ぬときは仏教で。融通無碍で、多神教という土壌も大きく影響しているなと思います。多神教になってくると批判は自由ですから、そう深刻なことになりませんから。
だから、マンガというのは体制派の文化ではなくて、どちらかというと大衆の文化として育ったと思うのです。そこに批判精神があり、ユーモアがあり、そういうものが相乗効果でマンガを育てたと思います。一神教であったら、確かに、あのように伸び伸びとした発想のマンガというのはできなかったなと思います。
それから、仕掛けは地域によって、あるいは時と場合によって違うと思うのです。今は、岐阜県が産業として伸ばそうと思うと、行政指導型で織部の人物伝をマンガでつくるとか、あるいは、今申し上げた民話をアニメ化するという事業を立ち上げるとか、そういうことになってくると思います。