ケルト系というのはバーコードと同じです。線で表現する。たまたまアイルランドに去年行きまして古代遺跡を見てきました。その石室の中は、夏至だったか冬至だったかに光が差し込むのですが、その中の石が盃状に彫ってあるのです。盃状穴と言うのですが、これが、岐阜県にあるのと全く同じなのです。アイルランドの遺跡と。これはびっくりしました。
それで、周辺に意味ありげな石が並んでいます。これはかなりぼけてしまっているのですが、私なりに見ると、バーコードのケルト系の文字なのです。この土地の人はそこまで気が付いていないのではないかと思うのですが。
バーコードというのは全く論理的な文字、記号です。ポリネシア系になると、どちらかと言うと、意味を形で表すという系統なのです。だから、ケルト系でずっとこなかったからビジュアルな完成型になったのかなと。
今、漢字の話もありましたが、ずっと遡るとそういうことなのです。だから、そういう文字、記号から来たというのも、なるほど、これは意味があるのではないかと思います。これはかなり決定的な差かもしれないなと、今、日下さんがおっしゃったのでそのように感じたのです。いろんな歴史的な要因が重なって、ビジュアルな表現というものに進んできたのかなと思います。
牧野 今まさに、お二人がおっしゃった、文字の起源―要するに、象形文字の歴史が現代マンガの感性にまで繋がっている―ということは間違いないだろうと、私も直感的に感じています。
新聞の取材記者さんは、大体30代、40代であります。そうした世代の記者さんが、精華大学にマンガ学科ができたということでたくさん来られて質問をされるのですが、非常に熱心です。今までの年配の記者の方たちは、マンガというのは文化としてより、社会現象として、ちらっと記事にしてあげようか―という感じでしたが、最近の取材記者さんは、約束の時間を延ばして延々とマンガ論をなさっていく。小さな記事を書くのにも、たいへんに深く突っ込んだ点にまで言及して、マンガ論をなさっていくわけなのです。そのとき必ず聞かれるのが、「なぜ日本のマンガは特別なのか」ということなのです。