向こうにもお嬢さんとか奥さんとかご本人を描いた立派な肖像画があるではないかと言う人がいるかもしれません。しかし、それらは人に見せてはいけないものなのです。自分の家の中だけで飾っておくものであって、公に出すものはすべてイエス・キリストを褒め称える絵しか出してはいけない。家の中の絵はいわば記念写真だったのです。
そのような違いが向こうの人にどうもショックを与えるらしい。彼らもショックを受けて、だんだん同じことをするようになるというのは、心が日本人になっていくことではないでしょうか。後は、それを追いかけて、日本のものは何でもかんでも向こうへ売れるようになるのではないかと、今思っているわけです。
結局、今言ったようなことをやっていると、総合的直観力というものが養われるわけです。だから、言葉にして理屈でこねあげる方は多少退化しても、そっちの方が大事だということです。
牧野 まさに「日下マンガ論」だと私は言っているのですが、私などが日ごろ絵を描いていて現場で感じていることを、非常に明確におっしゃっているのだと思います。
今、梶原さんが日下マンガ論をお聞きになって、ここにまた、「梶原マンガ論」というのも一つ出していただきたいのですが、いかがでしょうか。
梶原 ペトログリフとかペトログラフと言うのですが、岩刻文様、岩刻文字が、日本では岐阜県に圧倒的に残っております。巨石遺構もあります。山岡町という一つの町だけでペトログリフの遺跡が何千とあるのです。文字だけではなくて、夏至冬至の時に光が入ってくるストーンサークルの様な物とかがものすごく残っておりまして、これは最近気が付いたのです。
このペトログリフの研究が日本は全く遅れていまして、カナダとか海外の方が発達しています。大体解読のルールも決まっております。岐阜県にあるのは、ケルト系やポリネシア系などです。